とろとろおしゃぶり
おもむろに、唇が沈んだ。
は、と目線だけ持ち上げれば、妙に真剣な顔をした男が見える。かといって、ほとんどゼロ距離、というわけでもない。黙々と課題をしているオレを邪魔しない程度に、距離はとっている。まあ、ローテーブルに隣り合わせで座っているだけなのだけれど。
声を掛けようか。ぴたりと線を描く手を止める。資料を捲る左手も、ぴたりと固まった。……逡巡しているうちに、また唇がむにりと沈む。オレの方に伸びているドラケンの腕、その先にある人差し指が、ふに、むに、と唇を撫でていた。無骨な関節が、何度も薄皮を擦る。
「……ドラケン?」
「おー」
「なぁに」
「んー……」
指を食んでしまわないよう、極力小さく唇を動かした。息が当たるのも何だか申し訳なくて、声のボリュームも低くなる。それにつられたのか、応える男の声も普段よりずっと小さかった。心ここにあらずといった雰囲気で、もう一方の手で頬杖をついている。淡々とした目付きなのに色気を感じるのは、惚れた贔屓目だろうか。ふにふにと唇を撫で続けられているからかもしれない。
「ぅ」
そのうちに、親指も使って、キュ、抓まれる。ブ、なんてみっともない声が息に乗った。何だよ、今の音。そう笑ってくれたら、こっちだって小突き返せるのに、相変わらずドラケンは「んん」と小さく唸るだけ。
強く引っ張られているわけではない。しいていえば、くすぐったい。いや、その域にも達していない。……だが、それはそれとして、下唇だけ伸びているのはどうも落ち着かなかった。
耐えかねて、むぐり、上唇が閉じる。たちまち、その指、人差し指の中央が、やわい口内に触れた。
「ム、」
「……」
「んっ……、ぅ?」
硬めの皮膚が確かに粘膜に触れている。咥える、という程の深さはない。甘噛みしている、といえばいいだろうか。でも、歯で噛んではいないんだよな。本当に、唇だけで挟んでいる状態。小さく息を吸うと、それだけでぴたりと皮膚が滑る内側にくっついた。
……何してんだオレは。どうして真顔のドラケンの指を噛んでるんだ。いや、こいつが突然俺の唇を撫でてきたから、うっかりこうなったのであって、オレは悪くない。ない、よな?
ア、と口を開けて、指を離して、邪魔すんなよと釘を刺さなくちゃ。
よし。オレを見ている癖にどうも目線の合わない男を睨んでから、ク、顔を引いた。
引こうと、した。
「むグッ」
引くには、引いたんだ。
ただ、指は離れてくれなかった。わずかに隙間を大きくした口に、ずるりと指が入り込む。人差し指と、今度は中指。二本のそれらは、奥に引っ込もうとした舌を甘く挟んだ。爪先と、指の先っぽ。僅かな部分でオレの舌先をくにくにと弄ぶ。
なに。マジで、なに。咄嗟に口を閉じると、捩じ込まれた指を締め付けてムヂュなんて水音が立った。違う違う、吸ってなんかない。びっくりして口閉じただけ。なのに、こんな音が鳴るだなんて。ふつりと羞恥が込み上げてくる。じりじりと顔も熱くなってきた。どういう仕組みなのか忘れたけれど、口の中にはとろとろと唾液が滲み出した。
「……」
「ぅ、ぉらけんッ」
「……あー」
「れえっれば、ァ、ゥ」
噛まないようにだけ注意して、どうにか指を追い出そうと舌を動かす。しかし、どんなに叩いても二本の指はびくともしなかった。相変わらず口内の唾液は増え続けるし、粘膜どころか入り込んだ指までヌメりだす。
ああ、クソ、だめだ。オレの短い舌じゃ、太刀打ちできない。長くてもどうにかできる気はしないが。なんとなく顎も怠くなってきて、一度むぢゅ、口を閉じた。もちろん、指が入り込んでいる分、きちんと閉じきることはできない。楽なようにすればするほど、なんだか指をしゃぶらされている心地になってきた。
「ぅ、ふ、……ゥウー」
「……んん」
「ンッ、ぅ、グ」
半ば諦めてドラケンをじっとりと睨む。と、ようやくぼんやりとした意識がオレに向いた。やけに遠くを眺めていた目は、確かにオレを射抜く。淡々としてこそいるものの、もう焦点はぼやけていなかった。
ねえ、ドラケン、何したいのかよくわかんねえけどさ、そろそろやめにしない? この謎の手遊び。
「ンッ!?」
そう、目線で問いかけたときだった。
グと、口内の圧が増す。閉じ気味だった口が、おもむろに割り開かれた。唾液の粘着く音がする。それが妙に卑猥に聞こえて、背筋に痺れが走った。
ぐるりと指先が口内を掻き交ぜる。頬の裏側を擦って、歯を掠めて、上顎の薄い薄い粘膜を爪先で擽られた。舌の回りはもう唾液でぐしょぐしょ。そろそろ飲み込まなくちゃ、溢れてしまう。
「ァ、んっ、ん、ぅ」
いつの間にか三本に増えていた指をやわやわ食みながら、こく、ぐきゅ、必死に唾を喉へと流す。口の端から垂れるのが嫌で、自然と顔は上を向いて行った。それでも、指は口の中に嵌められたまま。気まぐれにナカの粘膜を擽ってくる。
もう、良い加減にしろよ。押し退けようと舌を這わせれば、えづかない塩梅で舌を掴まれる。
「ゥ」
あ、これ、やばい。
オレの危惧はまんまと当たり、くりゅんっと指先で舌の裏を撫でられた。その瞬間、ぎくりと体が強張る。こっちの緊張に、ドラケンは気付いているのだろうか。涙で滲み始めた視界にどうにか男を収めると、平坦な目付きこそ変わらないものの、口元には三日月が浮かんでいた。にやけ、てんじゃ、ねえ
うあッ、やだやだ、上顎のそのざらざらしたとこまで擦るの止めろ! 舌の付け根をつるつる撫でるな! 内側の歯茎も擦んないでってばあ!!
ぼたっと右手からシャーペンが落っこちた。
「~~ッら、にッ、すんだよ!」
「あ」
「あ、じゃねえ!」
フリーになった両手で、ドンッと男の胸を押す。視界の端では、支えを失った便覧がばったんと閉じた。
突き飛ばしたおかげで、捻じ込まれた指はとぽんと抜けた。合わせて、唇から唾液の伝い落ちる感触がする。慌てて拭って、ついでに口内に残った唾も飲み下した。ああ、スッキリした。胸を撫でおろしつつ、宙に腕を浮かせたままの男を睨みつける。まだ目尻に涙が残っていたから、恨みがましい目付きにしか見えないかもしれない。それでも、放蕩を露わにした顔を晒すよりマシ。
違和感の残る口をどうにかしたくて、もう一度手の甲で唇を擦った。その間に、ドラケンは緩く右手を返す。濡れそぼった指を、確かめるみたいに擦り合わせていた。
「……なに」
再び開いた己の口から、思った以上に低い声が出る。掠れているから、余計にそう聞こえるのかもしれない。寝起きのようだ。それこそ、今朝も、こんな声、出た。一つ蘇れば、芋づる式に夕べの記憶も呼び起こされる。じゅわりと滲みだす熱の鬱陶しさに、はぁっとため息が零れた。
ドラケンは、まだ、口を開かない。さりさりとまだ指を擦り合わせていた。擦っているからだろうか、たっぷりと唾液を纏って濡れていたはずなのに、もう乾き始めている。
そんなふうに擦ってないで、さっさと手、洗って来いよ。
ばか。
「そんな」
「ぅ」
悪態を浮かべると同時に、ぽつり、ドラケンの口から音が漏れる。
「そんな小さい口でさ、―― よく咥えられたなあって」
「は」
「案外、ナカは広いんかと思ったら、すげぇ狭いしキツイしとろとろだし」
「エ」
「どうやって、あんな深くまで咥えたの、昨日」
こて、と、ドラケンの首が傾く。緩く束ねられた髪の毛先が、重力につられてぱたりと揺れた。耳にかかっていた一房も、ほつれるように垂れる。その金糸の合間から見える目は、やっぱり、淡泊。その癖、口元は緩やかな弧を描いているから、愛想笑いを向けられたかのような気分になる。
いや、いやいや。ドラケンの愛想笑いは、こういうんじゃない。もっとちゃんと、ニッて笑う。目も細めるもん。捕まえた客を逃さんと外堀埋めてる時に浮かべているあれこそが、この男の愛想笑い。じゃあ、この顔つきは? 記憶をたどりながら、うらり、うらりと視線を彷徨わせる。知ってる、はずだ。こいつの、こういう顔。涼しそうに見える、この表情。よく、見てるような、気がするんだけど、うう、ええと、いつする顔だっけ。
目を泳がせながら、沈黙を避けるべく、とりあえず口を開いた。
「が、がんばった、から……」
「あ、やっぱり? 無理しなくていいつったろ?」
「……だって、その、ドラケン。す、ッごい、よさそうな顔、するから」
「おー、めっちゃよかった」
「ドウモ……」
つっかえつっかえ受け答えをしながら、ちらり、隣を盗み見る。表情に、変化はない。指先も、丹念に擦り合わせる動きは止まった。まあまだ、くちくちと小さく動くのだけれど。
早く、手を洗いに立ってくれないだろうか。そしたら、気を取り直して課題に向き合うのに。……どうだろう、変に気分が上ずっている。確かに座布団に座っているのに、一抹の痺れと浮遊感がある。ひゃく、にじゅう、にぺーじ。デザイン史の資料集を開き直してみるが、どうも文字列は頭に入ってこない。
体の、左半分には、やんわりと視線が注がれている。この程度の視線、普段は気にならない。課題に集中してしまえば、見られているのに気付かないことだってある。けれど、今、この時ばかりは、くすぐったくて仕方なかった。
「ぅ」
口を閉じたまま、溜まった唾を飲み下す。もごりと舌を震わすと、擦られたばかりの付け根がじんと切なくなった。意識すればするほど、口内の熱は増していく。掻き回されたい。それが駄目なら、あの指に奉仕したい。あわよくば、昨晩のように―― 。
「~~ッ」
ばたん、と、開いたばかりの便覧を閉じた。慌ただしくレポート用紙も揃え、一纏めに。右手にあるシャーペンと転がっている消しゴムは細いペンケースに捻じ込んだ。決して汚してはいけないそれらを、ずずず、ローテーブルの対角に追いやる。
「どらけん」
「んー」
「し、」
「し?」
「シよっ、か……?」
「……課題は?」
「明日提出じゃない、から、ダイジョーブ」
なにより、あんなちょっかいを掛けられて、甘い視線を向けられて、平然を保てるほど自分は達観していない。
恐る恐る、首を男の方に捻った。ビビった根性のせいで、目もちょっと細めてしまう。ち、らり。やっとのことで見えたドラケンの唇は、にんまりと歪んでいた。黒目は、落ち着いている。でも、ちょっと、熱を孕んでいるような、そうでもない、ような。
「じゃあ」
「ぁ、」
そうだ、思い出した。この目、昨日、オレががんばって頬張ってる時にしてた目だ。欲情してるのを綺麗に隠して、余裕ぶって、でも強烈に煽られてる時の、顔。そうだよ、なんで気付かなかったんだ。見たばかりだってのに。
愕然と同時に体は浮き、背後にあるベッドに押し倒される。
「―― 舐めて」
告げられたのは、たったの三文字。一秒に満たない言葉に囚われて、唇が勝手に開いた。ぱくん、ソレを咥え込んだ瞬間、男は満足そうに破顔する。ああ、この顔を見ているだけで、甘くトべそう。
もっと深くと、喉奥を開いて咥え込んだ。