酒のせい

飲み直そうとドラッグストアで買い出し中の押し問答


 買い物カゴに、ぽこんと小箱を放り込む。
 その手付きは、酷く流暢だった。さも当然のように、骨ばった手は陳列棚に向かい、黒っぽくてどちらかと言うと平たい形状の箱を掴む。そして、ぽとり。
 あまりにも滑らかだったものだから、そいつが何をカゴに入れたのか、すぐにはわからなかった。もとい、理解、できなかった。
「え」
 一拍遅れて、己の口からは間の抜けた声がまろび出る。
「うん?」
 その呆けた声は、カゴを持つ男にも届いたらしい。そりゃあ、聞こえもするだろう。自分はその男の、すぐ斜め後ろにいるのだ。周りが騒がしければ、聞き逃すこともあったろうが、閉店間際のドラッグストアは閑散としている。店内BGMだって、絞られているように思えた。聞こえないわけが、ない。
 肩越しにこちらを振り返った男は、ゆったりと首を傾げた。その穏やかさを伴いながら、厚みのある唇がじんわりと開く。
「どうしたの」
 発せられた声は、動揺を極める自分とは対照的に冷静で、かつ柔らかかった。
「どうって」
「うん」
 どうしたの、だって? とぼけたことを言いやがって。それはこっちの台詞だ。どうして、どうしてお前は、―― コンドームの箱を買い物カゴに入れたんだ!
「どう、って、と……」
 腹の中が荒れ狂う割に、己の口からはたどたどしい声しか出てこない。言いたいことはある。いくつもある。しかし、そのどれもが、上手く舌に乗ってはくれなかった。それでいて思考は止まることなく働き続けるものだから、脳内はいっそう困惑で満ちていく。
 狼狽えた頭は、徐々に俯き始めた。必然的に、男の手に提げられているカゴが見える。この買い物は、宅飲みの買い出しという名目だ。その証拠に、買い物カゴの中にはビールとハイボールの缶がごろごろと転がっている。スルメだサラミだチータラだ、酒のつまみのパックも缶の間に刺さっていた。
 そんな中に君臨する、コンドームの、箱。
 異質なのは、明らかだった。
「それは、は、サ」
「うん?」
「俺が、聞きたいと、いうか、いいますか」
 やっとの思いで吐き出した言葉は、やけに干からびている。口の中は、困惑を極めた数秒の間にすっかり乾いてしまっていた。喉が渇いていると言っても良い。何か飲みたい。水でも、お茶でも、なんならビールでも。選んだ缶は、どれも冷蔵ケースに並んでいたものだ。今ならまだ、程よく冷えていることだろう。
 早く会計して来いよ。そう背中を押したい一方で、カゴに入ったままの避妊具の箱も気がかりでならない。
「あの、カクニン、な。これから、ドラケン家に行くじゃん、おれ」
「うん」
「家飲みしよ、って、ハナシだったよ、な」
「うん、だって飲み足りないし。三ツ谷だってそうだろ」
「そうね。そうだよ。そうなんだけどさあ」
 確認と称して発した言葉は、すんなり受け止めてもらえた。否定が飛んでくる様子はない。なんなら、その男が補足してくれた言葉だって、正しかった。
 ―― 昔馴染みとの飲み会のあと、俺はいつも、ドラケンの家で飲み直している。ある種、恒例行事だ。もちろん、気の置けない仲間たちと飲むのも楽しい。だが、元来の性分がそうさせるのか、自分はいつだって誰かを介抱する側。満足いくまで飲むことは、大抵叶わない。それを見かねたドラケンに「ウチで飲み直さねえか」と誘われたのは、いつの日のことだったろう。少なくとも、ドラケンへの憧憬が、思慕だとか恋慕だとか、劣情だとかに成り替わった頃だったと思う。
「ソレを、今日買う必要は、あるので、しょうか」
「あー」
 その下心故に、カゴにあるコンドームの存在が、受け入れられなかった。
 逆に、自分に疚しい気持ちがなかったら、目の前の光景を許容できたのだろうか。もしかしたら、「誰と使うんだよ」と茶化せたかもしれない。今からでも、言ってみようか。ソレ、ダレトツカウンダヨ、って。
 本当に、誰と使うんだ、それ。確か、付き合っている奴はいなかったはず。俺の知らない間に女ができたのだろうか。まさか、セックスするだけの仲の相手がいるというのか。願わくば、自慰でもゴムを付ける派だったというオチてあって欲しい。
 恨めしさをたっぷり込めながら睨んだ箱には、大きく「L」と書かれたシールが貼られている。そこに添えられた煽りは「薄さを超える」。となると、このコンドームは極薄タイプではないらしい。ドラケンは手も指も大きいから、あんまりにも薄いとかえってつけにくいのかもしれない。大きいのも、大変だなあ。
 そういう話をしたいんじゃない。
「ふ」
「ッ!」
 頭を抱えたい衝動を戦っていると、吐息の漏れる音がした。ハッと視線をもたげると、ドラケンの涼しげに構えていたはずの唇が、むにゃりと綻んでいる。凛とした印象のある目も、きゅうと細められていた。
「……なににやけてんだよ」
「だって、そういう反応するなんて思わなかったから」
「童貞みたいだって?」
「うーん、どっちかって言うと」
「あ、ストップ、それ以上言うな、言わなくて良い」
「処女」
「ストップって言った!」
 咄嗟にがなると、ドラケンはクッと喉を鳴らして笑った。零れた笑い声は、その一音だけ。けれど、肩は今も小刻みに震えている。笑いを堪える気概があることを褒めてやるべきか、堪え切れてねえぞボケと小突くべきか。どちらにせよ、俺の羞恥は煽られる一方。ドラケンがくつくつと体を震わせるのに合わせて、ふつふつと己の顔は熱くなっていった。
「わらうなってばあ」
「ふ、ごめんごめん。三ツ谷ならさあ、「誰と使うんだよ」くらい言うかと思ったから」
「……ダレトツカウンダヨ」
「っふふ、ク……んふふ、さあ、誰だろうね」
「聞き損じゃねえか」
 結局言ってしまった台詞は、想像したのとまったく違わず、変な片言になってしまう。その奇妙な響きが、ドラケンはお気に召したらしい。笑い声が、声のあちこちに混じり出した。
 笑うな。カッカと顔を火照らせながら、ドラケンの脇腹を小突いてみるが、笑みが凪ぐ気配はない。むしろ、堪える気が失せ始めているように見えるのは気のせいだろうか。こちらを一瞥しては笑みを深め、またちらりと瞼を持ち上げてはにんまりとする。だから、いい加減にしろ。してくれ。握り込んだ拳を、もう一度ドラケンの脇腹に押し当てた。
「おいッ」
「ンンッ、ごめんって。ちなみに三ツ谷は? 普段どれ使ってんの」
「話の逸らし方ヘッタクソかよ」
「薄いの好きそうだよな」
「……」
「あ、図星だ。なら、コレかなあ」
 相変わらず笑みを携えたまま、ドラケンは空いている方の手を陳列棚に伸ばす。短すぎるくらいにまで切り揃えられている爪先は、一つの迷いもなく〇・〇一ミリのシリーズを捉えた。サイズ表記はないから、おそらく標準サイズ。既にカゴの中にあるソレより、一回りか二回りは、小さいだろう。
 そして、やっぱり、ぽとり。もう一つの小箱が、ソレの隣に落とされた。
 何度瞬きしても、サイズ違いのコンドームの箱が、ころ、ころんと酒の缶の上に寝転がって見える。
「なんで?」
「ん、それじゃ会計してくるワ」
「それじゃ、じゃないだろ!」
「あれ、なんか買い忘れたモンある?」
「それはないけど……」
「ならいいね」
「いッ」
 しれっと体の向きを戻したドラケンは、レジの方へと歩き出した。ぱったか、ぺったか、踵を引っ掛けるような足音が、やけに耳につく。
「いいねじゃないって、全然良くないから、おいッドラケン!」
「んー?」
「い、いらないだろ、それ!」
「いるって。今、ウチにストックないし」
「ど、ラケンのはッ、……まあ、いいけど、いいとして。なんで、その、フツーのサイズまで買うんだよ、お前のアレにはキツイだろ」
「まあつけるの三ツ谷のアレだし」
「俺の分を! なんでお前が買うんだよ!?」
 このまま会計をされたら、堪ったもんじゃない。なんとか引き留めようと声を荒げるが、ドラケンの足は止まらなかった。カーディガンの背中に指を引っ掛けても、わずかに歩くペースが遅くなるだけ。おい、止まれってば。必死の思いで布地を引っ張ると、肩からカーディガンがずれた。がっしりとした骨と筋肉のついたソコが、剥き出しになる。だめだ、カーディガンを引っ張ったって、ドラケンは止まってはくれない。
「~~ッなあ!」
 致し方なく、半端に布地が引っかかっている二の腕に手を掛けた。触れたのは、カーディガンと肌との境目。夏用の軽い布と、高めの体温とが、同時に手の平にぶつかった。上質故に柔らかな筋肉の感触が、じわり、指先へと伝う。
 襲ってきた生々しさに、ぼ、いっそう顔が熱くなった。まずい、絶対に今、赤くなっている。誤魔化せるだろうか。好いた相手の素肌に興奮したんじゃなく、慌てふためいているがために真っ赤になっているのだと、勘違いしてもらえるだろうか。
「ふ、なぁに真っ赤になってんの」
「ドラケンがっ、変なコトするから」
「だってさあ、使うだろ」
「使わないって」
「そうかな、使うと思うよ」
 ようやく足を止めたかと思うと、振り返りざまににんまりとする。俺の赤面が、そんなに面白いか。駄々っ子のように縋っているのも、ドラケンの愉快ポイントを稼いでいるのかもしれない。クソッタレ。
 この際だ、ドラケンが自分のゴムを買うのは良い。目を瞑ろう。たまたまストックがなくなったことを思い出して、なんの気なしにカゴに放り込んだということにする。
 だが、俺の分まで買う道理はない。ないはずだ。使う? そんな事態が起きるなんて、ありえない。
 だってそうだろ。ドラケンと俺が、セックスするなんて、起こりえるもんか。
「……わかった、ドラケン、酔ってんだろ」
「うん?」
「酔ってんだよ、お前。普段よりずっと」
 飲み会でのペースは、いつもと変わらなかった。けれど、疲れていたとか、サッカーの中継を見るためにやたら早起きをしただとか、そういう理由で酔いが回ってしまったに違いない。そうでければ、この奇行を説明できなかった。ドラケンは、酔っている。涼しい顔をして、相当酔っ払っている。頼む、そうであってくれ。
 腕にしがみついたまま念じると、ふ、再び男が吐息で笑うのが聞こえた。
「酔ってたら」
「え」
「コレ、使ってもいいの?」
 それなら、酔ってるってことにする。
 付け足された音は、ウィスパーボイスと言うに相応しい声量だったというのに、やけに耳に残った。鼓膜に沁み込んで、ぐらんぐらんと頭が揺れる。
 ドラケンは、一体何を言っているのだろう。理解するのを拒みたい自分と、真に受けて浮かれる自分とが、脳内で殴り合いを始めた。酔った戯言とするべきだ。折角なんだから抱いて貰えば良いじゃんか。一夜の過ちって言葉があるだろ。それが一生の思い出になるなら儲けもんだろうが。どちらも、退く気配はない。おかげで、生身の自分はぽかんと口を開けたまま動けなくなってしまった。
 それをどう解釈したのか、目の前の男は笑みに艶を宿していく。
「結構アピールしてたつもりなんだけど、三ツ谷ってば全然靡かないからさ」
「なび、……あぴー、る、」
「もう既成事実作ろうかなと思って」
「だって、エ、酔ってるん……ぅえ?」
「ほんとはぜーんぜん酔ってないよ。ウーロン茶とジンジャエールで乗り切ったもん」
「シラフじゃん」
「そう、素面。だから、酔って勃たないってこともない」
 気付くと視線は、そいつの下肢に向いていた。ゆとりのあるワークパンツの中心を、凝視してしまう。頭の中で揉めている二人の自分も、手を止めてドラケンのソコを注視しだしたらしかった。おそらく大きい。いや、絶対に大きい。カゴの中にあるのは、Lサイズだ。お粗末な大きさなわけがない。
 ごくり、唾を飲み込む音が、辺りに響いた。
「まあ、今日のところは、酒のせいにでもしていいから」
 告げられた前置きに、放心した自分がのろのろと顔を持ち上げる。見上げた先にいるそいつは、やはり色気のある笑みを浮かべていた。
「そろそろ、―― 俺と付き合ってよ」
 再び、頭に血が集まってくる。これ以上ないくらいに、顔は熱を放ち始めた。
 理解できないと喚くことは、もうできない。イーイー騒いでいた自我の片方は、ぽんっと音を立てて破裂した。かといって、取り残された方が冷静でいるかと言うと、そうでもない。外側の俺と同じくらいに真っ赤になって、ぷるぷると打ち震えていた。
 ドラケン、俺のこと、好きだったの。セックスしたいくらい、好きだったの。そんな素振り、なかったじゃん。ああええと、俺が靡かなかったんだっけ。でも、本当にそういう言動をしていた覚えが、……あれも、これも、それも、なにもかも、好きというアピールだったとしたら? こうやって、飲み会の度に俺を家に誘っていたのだって、下心があったからだと、したら。
 在りし日の思い出が、蘇っては一本の糸へと手繰り寄せられていく。
「ぁ、」
 俺と付き合ってよ。浴びせられたばかりの言葉がリフレインして、ついに頭は真っ白に爆ぜた。
「た、たなかったから、くいちぎるからな……!」
「っふは、可愛い顔して怖いこと言ってくれるじゃん」
 燃えかすの思考は、可愛らしい言葉なんて閃けない。下世話なフレーズが飛び出して、クッとドラケンに笑われた。けれど、呆れられたわけではない。むしろ、それでいいと言わんばかりに、腰に腕を回された。あたかも、それが当たり前であるかのように、そいつは俺を抱き寄せる。改めてレジに向かう足取りは、まあ軽やかだった。
 カゴの中には何本もの酒と、つまみが数パック。それにコンドームがサイズ違いで二箱。ピッピッとバーコードを読む音と、チルな蛍の光を聞きながら、心身は疚しさで昂っていった。
 酒もそこそこに味わった初めては、酒のせいにしたくないくらいに良くて、善くて、兎角、好かった。