ちいこかったたかしさん

見た目は子供、頭脳は大人になったたかしさんの体が無事大人に戻った後の話


 体が縮んでしまっていた時、三ツ谷の定位置といったら俺の膝の上だった。場合によっては、俺が大きく足を開いて座っていることもある。そういう時は、俺の右足と左足の間。なんにせよ、トトトッと近寄ってきて、ちょこんと座り、俺を背もたれにして、小さい三ツ谷はよく寛いでいた。
 それを悪いとは思わない。むしろ、不満に思ったことは一度もなかった。なんせ、元来の三ツ谷は何かと格好をつけたがる。甘えるようにもたれかかってもらったこと、あったろうか。ゼロとは言わないが、片手で数えられる程度なのは間違いない。
 そんな三ツ谷が、小さくなった途端スキンシップに積極的になったのだ。これを喜ばずにいられようか。大人に戻っても、これくらい積極的だったらいいなあ。あえて口にはしないが、ずっと思っていた。ずぅっと、そうなればいいと願って、いた。
「はぁ~スッキリした」
 風呂から上がってきた三ツ谷は、ぺたぺたと裸足の足音を鳴らしながらソファに近づいてきた。ちら、と見やれば、形の良い頭がタオルで隠れてしまっている。すっかり大きくなった両手は、わしゃわしゃとかき混ぜるように濡れた頭を拭いていた。
 ついこの間まで、俺が三ツ谷の髪を乾かしてやっていたのに。仕事をとられたような気持ちになって、胸中に一抹のさみしさが広がる。ドライヤーを持ってきたら、少しはこのさみしさを紛らわせられるだろうか。けれど、「もう自分でできるからいい」と断れたら凹んでしまう。
 三ツ谷を甘やかしたい。無性に甘やかしたい。
 こんなことなら、縮んでいる間に甘やかし倒しておくんだった。プリンは週に一回じゃなく、三日に一回くらいにするだとか。
 もの悲しさを誤魔化すように、どっふりとソファの背もたれに体を預けた。
「ふぅ」
「ん?」
 三ツ谷も、当然のようにソファに座る。もしかすると当人は、ちょこん、と座ったつもりなのかもしれない。だが、体は完全に大人に戻っている。五歳でも十五歳でもなく、二十五歳だ。擬態語をつけるとしたら、すとんがせいぜい。
 すとん、と、三ツ谷は俺の足の間に、腰を下ろしていた。
 ―― なぜ?
「ガキの体も悪くはねえけど、やっぱ今の方が勝手がいいワ」
「あ、そお」
「難点があるとすれば視力だけ」
「つったって、免許更新はできたんだろ」
「両目で〇・七って、結構見えないもんだぜ」
「ふぅん……」
 違和感を覚えているのは、どうやら俺だけらしい。俺の目がおかしくなっただけで、実はまだ三ツ谷の体は子供のままなのだろうか。それならば、ガキの体・今の体なんて言い回しをしないはず。ここにいるのは、身長一六八・九センチ、裸眼視力両目で〇・七、眼鏡で矯正すると一・〇になる、あの三ツ谷。背もたれに預けていた上体をいくらか正すと、タオルの向こうに眼鏡のセルフレームがちらりと見えた。
 確かに、俺の足の間に、まさしく二十五歳の三ツ谷がいる。
 どういう風の吹きまわしだろう。困惑しつつも、そぉっと三ツ谷の腹に腕を回した。
「ふぅ」
 あわせて、三ツ谷は俺にもたれかかる。
 体が縮んでいた時は、形の良い丸い頭は、俺の胸元よりやや下の辺りに着地していた。あれは確か、旋毛がよく見える角度だ。髪を乾かしてやるのも、都合の良い高さだったと思う。
 それが今じゃ、ぎりぎり脳天が見えるか見えないか。
 タオルを被っている三ツ谷の後頭部は、俺の右肩の上に着地した。
「……んん?」
 タオル越しに、しっとりと濡れた感触がした。実際、タオルに吸われた水気が、こっちの寝巻に染みているのかもしれない。三ツ谷が身じろぎをするたび、その冷たさはじんわりと肩口に広がっていった。
「んん、ん……」
 首を右へ左へ傾げながら、三ツ谷はもぞもぞと体の角度を調整する。おかしいな、ついこの間までは、ちょこんと座ったら一発で落ち着く位置を見つけていたのに。いや、あれは体が一〇〇センチそこらにまで縮んでいたからかもしれない。
 大人の体に戻った今、俺は三ツ谷の背もたれとしてどれくらいのグレードなのだろう。悪くない点数でいられるといいのだけれど。
「ン……?」
 ふと、三ツ谷が顔を上げる。
 頭に乗っていたタオルが、ぱたり、肩に落ちた。未だ、しっとりと水気を含んでいる髪の毛が、頭の形に沿って垂れている。首が捻られるのに合わせて、横顔と、大きなレンズの眼鏡が現れた。
「……」
「…………」
 レンズ越しに、視線が重なる。唇には、互いの呼気が掠めた。
 ほんの少し角度を調整したら、キスできてしまいそう。
 思えば、ここしばらくキスをしていない。あのちっこくてふくふくしていたのも三ツ谷、この洗練された輪郭の男も三ツ谷。同じ三ツ谷なのに、前者にはさっぱりキスする気になれなくて、後者はしたくてたまらなくなるのはどうしてなのだろう。小さい三ツ谷がいなくなってちょっと寂しいけれど、不埒な下心が報われると思ったら大人に戻って良かった気にもなってくる。
 現金だなあ、俺って。
 腹の中でだけ自嘲したところで、ツンとした唇を、チュッと啄んだ。
「ッ!」
 そこでようやく、三ツ谷も事態を理解したらしい。
 瞬く間に三ツ谷の顔は朱に染まる。風呂上がりというだけでは、説明できないほどの赤色だ。濡れた髪から覗く耳に至るまで、真っ赤になっていた。
「ッゅ!」
「えっ、まだその音出せるんだ」
「ゅ、ゥ、ユッ、ゅ、うぅぅうッ!」
 かと思うと、小さい三ツ谷がしばしば放っていた奇声が飛び出す。てっきり、子供の声帯だから発せるものだと思っていたのだが、三ツ谷だから出せるものだったらしい。
「間違えた! 間違えました! だから離せ!」
「なんで。いいじゃん、このままでも」
「よくねえ、絵面がアウトだろッ」
「そお? 俺はセーフだと思うなあ」
「俺の美的センスにはビビッとこない、ぁ、ばかッ、なんで腕に力込めるんだよお!」
 くしゃっと歪んだ表情に、ひときわ暴れん坊な右足、思い通りにならないと肩を怒らせながら喚くところも、小さなあいつとそっくりだった。そっくりもなにも、本人なのだから、似ていて当然。あっちも確かに三ツ谷だし、こっちもまぎれもなく三ツ谷なのだ。
 ならば、慣れさせさえすれば、あの小さい三ツ谷と同じようなスキンシップも可能なのではないか。
 躍起になって俺の腕から逃げ出そうとする体を、両腕に両脚、ついでに顎も使って抱きしめた。
「なあみつやあ」
「うぁ、耳元でその声やめろッ」
「ついこの間まで、これくらいのスキンシップ、毎日してたじゃん」
「あれはっ、俺が子供になってたからで」
「俺は今も毎日したいよ」
「ハ」
「こういうスキンシップ。三ツ谷とだったら、いくつになってもしたい」
「うそ」
「ほんと」
 本心だ。小さな三ツ谷と過ごしている間、ずっと思っていたことでもある。
 ごく近いところから視線でも訴えると、三ツ谷はわかりやすく狼狽え始めた。黒目が上下左右をうらうらと泳ぐ。喉の奥からは、かすかな「ゅ」が聞こえた。本当にお前、どうやってその音を出しているんだ。小さい三ツ谷が放っても可愛かったが、大きい三ツ谷が発しても愛くるしく思えてしまう。これがあの有名な恋は盲目・惚れた弱みというやつなのだろうか。いや、俺と三ツ谷はもう、惚れた腫れたの域にはいない。ならばなんだ。
 やはり、愛か。
「お、おれは、ヤダ……」
「なんでだよ」
「だって」
「だって?」
 往生際悪く、三ツ谷はぷるぷると首を振る。紅潮した顔を見るに、抱きしめられるのが絶対的に嫌というわけではないだろう。頬が緩みそうになっているあたり、嬉しいとも思っているはず。
 にもかかわらず、三ツ谷が嫌がる理由はなんだ。腹に回していた腕に、もういくらか、力を込めた。肉感の薄い平らな腹が、わずかに、沈む。
「……っちゃう、から」
「あ?」
―― えっちな、こと、したく、」
 なっちゃ、う。
 ぽそっと付け足された言葉に三秒ばかりフリーズする。四秒目にさしかかるところで、そういうことかと理解が追い付いた。
 頬が緩む。口角は勝手に持ち上がる。推定五十五キロの体躯を抱き上げたって、重たいとは思わなかった。腕の中からは「ゅ!」の奇声が聞こえてくる。色気がない。だが、これもまた一興。
 いそいそと寝室に飛び込び、依然として悲鳴をあげる唇にがぶりと噛みついた。

 久方ぶりの夜に、はしゃいでしまったのは言うまでもない。