腰
艶めかしい、と言うんだろうか。うつ伏せで、腰だけを高くして、両手の指で必死に枕を掴んでいる。あいにくその枕に顔を突っ込んでいるものだから、くぐもった吐息しか聞こえてこない。でも、それもまた扇情的。
ごくりと唾を飲み込んでから、ぐっと腰を引いた。
「ンぅ……!」
つながった場所が、これでもかと締め付けられる。痛いからではなく、気持ちがいいから。何度も何度も、脳みそのどっか溶けだしててもおかしくねえなってくらい、こいつの体に溺れてる。
腰を掴む手に、つい力が入った。指先がぼっこりと膨れた筋肉の塊を押さえつける。手加減しないと、男の体とはいえ人体ってやつは存外繊細だ。そう思いはする。けど、切羽詰っている状況で力をセーブできるほど器用じゃない。
ごめんな、言葉にしないまま、奥の深いところまで熱を穿った。
「~~ッ、ふ、ぐ、」
「っは、っはぁ、ふぅ……」
「ん、っくぁ……」
薄い膜に阻まれる白濁。先のほうだけ、どろりと濡れた感触がした。これを体内に吐き付けてやれたらと、するたびに思う。夢だと思うんだ。避妊しなきゃならないとか、衛生的な問題とか、分かってはいる。だが、男ならやってみたいモンだと思うんだ。
間もなく訪れた倦怠感に浸っていれば、枕に顔を突っ伏していた倉持がこちらを向いた。涙に濡れた三白眼に、ぞわりと背筋が震える。どうせ泣くならこっち見ながら泣いてくれたらいいのに。笑った顔が一番好きだけど、集中して無表情に近くなるのも、激昂して眉間に皺を寄せているところも、悔しさに顔をくしゃっと歪めているところも好きなんだ。だから、泣き顔も見せてほしい。自己中って、蹴られちまうな。
中から引き出すと、舌打ちと共に箱ティッシュを放られた。ベッドの頭の方に置いていたもんな、ありがと。ざすざすと三枚ほど取って残滓をスキンと共に取り払う。
そのうちに、倉持の腰はべしょりとベッドに沈み込んだ。
「つかれた」
「はっはっは、感じまくってたくせに」
「う、るせえ……」
一糸纏わぬ姿で、汗だけをにじませた背中はこれまた色っぽい。事後の後ろ姿ってよく分かんねえ色気あるよな。乱れた息を整えようと大きく呼吸を繰り返すのとか、ぴんと反るように伸びた背が弛緩していくのとか、なかなかにえろいと思う。俺だけだったらどうしよう。でも、イく瞬間に反って背骨のラインが窪むのなんか、全力で俺を感じてくれたみたいで堪らないんだけどなあ。
怠そうな倉持にティッシュを返せば、何枚か引き抜いてもそもそと自分のナニを拭いだした。横向きになるとかすればいいのに、うつぶせのまま、腰を浮かせてソレをする。いつだってそう。自慰をしているみたいでそれも好き。むらっとくる。時間も時間だし、俺も出すもん出したし、もうしないけど。
ゴミ箱に残骸を入れたところで一段落。セックスのあと立ち上がってうろつく気力はなくなるのは毎度のことなので、ごみ箱は最初からベッド脇に寄せてある。丸まった白が二つ。明日、早いうちに捨てちまわねえとな。自慰のあと、と思ってもらうことだってできるし、どうせ寮には野郎しかいない。それでも、寮という空間でセックスに耽ってる後ろめたさから、早々に処分しないとという気になるのだ。
ちらりと倉持に視線を戻せば、相変わらずうつぶせのまま、くったりとしていた。晒された背中が、暗がりの中なのに眩しく見える。自然と、手が、伸びた。
「っひゃ」
「かーわい」
「馬鹿言ってんじゃねえよ、いきなり触んな」
「けっこー汗かいたな」
「聞けや」
触れたまま指先を動かそうとすれば、汗ばんだ肌がつっかかる。それでも背筋に沿って、下から上へと指を這わせると熱っぽい吐息が聞こえてきた。
「また、感じちゃった?」
「ヤったあとなんだから、しゃーねーだろ」
「ほんとそういうとこ潔いよな」
つんっと弾くようにして指を離して、今度は手の平全体を背中に当てる。浅ましい欲はできるだけ押し殺して、とくとくと走る鼓動を探した。多少の速い遅いはあれ、鼓動の音はなんだか落ち着く。とくとく、とくんとくん、どくん、どくん、感じいるだけで、心が凪いでいく。倉持を目一杯抱きしめてるのに欲情しないときがあるのは、たぶんその心臓の音を聞いているせいだ。
見つからねえかな。背中からじゃ、難しいか。綺麗に浮き出た肩甲骨をぼんやり眺めた。
「……手、どかせ」
「もうちょっと」
「正面からのが探しやすいだろ」
「へ、」
「だから、心臓の音、探してんだろ。仰向けなってやっから手ェどけろ」
「え、えっ、気付いて」
「たに決まってんだろ、何回擦り寄られてると思ってんだ」
ふつりと、羞恥が込み上げてきた。ナニソレ、キイテナイ。気付いてた、なんて聞いてねえよ。
「やりてえのかと思えば仕掛けてこなかったり、心地よさそうに抱き付いて来たり、……起きたら人の胸に耳当てたまま涎垂らしてることもあったな」
「ま、じかよ」
「まじだよ」
ふっと手の力を緩めたすきに、倉持はくるりと体を反転させる。ぽこりとした肩甲骨は視界から消え、代わりに胸がやってくる。つんと尖った乳首が、こちらを向く。これはこれでやらしいし可愛いんだけど、もうちょっと、背中を眺めていたかったような。あれ、でも俺倉持の背中に欲情するから胸の方がまだマシなのか。
じいっと見つめていれば、つん、今度は唇が尖った。
「不満だってか」
「不満っつーか、んー……なんだろ」
「知るかよ」
顎に手を当てて言葉を探す。背中見てたかったと言ったら、きっと心臓の音聞きたかったんじゃねえのかと言われる。そりゃそうだ、俺は倉持の鼓動を探してたんだから、ごもっともで言い返す言葉もない。何と表せばいいだろう、欲しいもの全部を手にしたかったとでも。それはそれで傲慢すぎるよな。
ふむ、と考え込んでいると、ため息一つ落とした倉持が上体を起こした。ぐんと距離が近付く。胸の突起は見えなくなるけど、名残惜しさは欠片もない。そうなんだよ、摘まんでと言わんばかりに勃起するソコはえろいなと思うけど、欲情のスイッチが切れてしまえばなんとも思わない。
ぺたり、互いの胸がくっついた。
お、おお?
「おら、腕回せ」
「あ、ハイ」
倉持に言われるがままに腕を背中に回した。どこを押さえたらいいだろう、腰というには少し上の辺りと、もう一か所はどこがいいかな。撫でるように手の置き場所を探していると、手首に肩甲骨の凸が触れた。そうだ、肩甲骨のところにしよう。程よい位置をとって、力を込める前に横顔を盗み見る。文句は、ない。よし。
ぎゅう、と、肌と肌とを密着させた。汗ばんでいて、吸い付いてきて、引力が増してるかのよう。そばにある、つい、頼りたくなる背中にも触れていられる。気持ち良いな、心地が良いな。ぼやけた視界を、ぱたんと閉じた。
――どっくん。
「ぁ」
「ん?」
「う、ぅん」
咄嗟に瞼を開いてしまうが、すぐにその音を探して目を閉じる。聞こえた。耳にというより、肌で感じた。皮膚をつたって、右胸の辺りに響いたんだ。自分の鼓動ではないと思う。それとは、ちょっと、異なる震動だったから、きっと違う。
どこだ、どこにある。また聞かせてよ。音を探すのに、必死になってしまう。そのせいだろう、俺の心臓がどくどくと急ぎ始める。邪魔、少し黙ってろ。いや、ほんとに黙られたら俺死ぬんだけどさ。倉持の鼓動を見つけるまでの、ほんの少しの時間で良い。静かでゆっくりなペースになってくれないだろうか。頼む、から。
「ヒャッハハハ、御幸、お前焦りすぎ」
「だって、」
「焦んなくたって、俺はここにいんだぞ」
「分かってる」
「ゆっくり息吸って、」
笑い声とは対照的な穏やかな声。馬鹿にされるのかと思ったが、どうやら違ったらしい。疑ってごめん。耳元で、平常時より、まして行為をしているときよりはずっと低い声が響く。鼓膜が鈍く震える。すうっと、室内の熱っぽいんだか、冷たいんだかわからない空気を吸い込んだ。
「胸の中満たして、もう吸わなくていいかなってなったら、」
吐いて。
ほとんど声にならない音と同時に、深く息を吐き出した。温度の不明な空気が、温くなって外に出ていく。ため息みたいな、でも後ろ向きではない吐息。かといって、前向きでもない。生きるために、ちょっと息を整えるために、自然にしたがってする呼吸。
俺の体温より、僅かに冷たい倉持の手が、とん、とん一定のリズムを刻みだした。時計の秒針よりはいくばくか早い。だが、必要以上に速いと言うことはなく、そのリズムで鼓動を鳴らせたらいいな、というくらい。
とん、とん。とん、とん、とん。
急いた気分も凪いで来た。そのくせ、抱きしめる力は緩められなかった。
とくん。とくん、とくん。
ああ、見つけた。見つけられた。この音、この響き、この震え。倉持洋一という男を動かしてくれる、心臓の音。一層、腕の力が増した。
「苦しいんだけど」
「我慢しろよ」
「しっかたねえなあ」
本当に、潔い奴だ。そこで突っかかるのを止めないで、もっと踏み込んできても良いのに。土足で踏み荒らされるのは好きじゃないし、誰を相手にしても境界線を作ってしまう俺だけど、お前なら踏み入られても構わないやと思うんだ。まあ、お前もなかなか踏み入らせてくれねえもんなあ。自分の話、そんなにしないし。したかと思えば、すぐに別の話題に変えちまうし。その変え方が上手いんだ。誰かの違和感を誘うことなく、人の言葉を繋ぎ合わせて別の内容を引き摺りだす。他人を煽ることに長けた俺とは、質の異なる話し上手。
肌で感じる鼓動に、ぼんやり思いを馳せる。この心臓は、俺の知らない動揺や憔悴や哀傷を知っている。いいなあ、なんて、馬鹿げた羨望だろうか。どっちも俺だろうがって、倉持は笑うかな。
一定のリズムに耳を澄ませて、さらに抱きしめる力を強めた。
困ったな、あたたかくて、愛おしくて、言葉を声にできやしない。