六
世間が赤と緑に騒ぐ頃、遅めのお歳暮が届けられた。
またお礼状を書かねばならないのか、煩わしさと相まって、熨斗紙ごと乱雑に包装を剥ぎ取った。
――その先の三文字に、三度見は不可避だった。
急に電話してもいいものか。何度考えたところで、それ以外の選択肢は浮かばない。
前に会ったのはいつでしたっけ、ついこの前の月曜日! いくらなんでも、すぐすぎる。そりゃあ、めでたく思いは通じたけれど、あっちは普通のサラリーマン。平日の真っただ中に呼び出せるわけがない。恋人特権でさっそく縛るなんてしたくもないし。
けれど、電話せずにはいられなかった。届いたブツがブツである。ついでに一人で何とかできる気もしない。いや、無理をすればできるのだけれど、折角できた恋人に振舞わないのもどうか。三日前に会ったけど。
堂々巡りを脱するためには、電話しかなかった。
『もしもし?』
「おう、今大丈夫?」
『んー、平気。どした、俺なんか忘れてった?』
突然の電話でこの対応。三日前とは大違い、なんて抜かそうものなら機嫌を急降下させてしまうかな。
贔屓目ナシに柔らかい声がする。ムズ痒くなるのは俺だけだろうか。単に、機嫌を損ねていないだけとか、仕事がスムーズに進んでいるだとか、俺を差し置いて嬉しいことがあったとか、理由はいくらでもある。それでも、"恋人"だからこの声を出してくれているのでは、淡い期待を抱いてしまう。
「いや、ちょっとな、」
『んだよ、まっさかもう恋しくなったとか言わねーだろーな』
「いつでも恋しいですケド」
『ばーか、……せめて土日まで待てよ』
茶化してきたかと思えば、そこはかとなく甘い響きに鼓膜が震える。天然め、舞い上がるぞ。でも意識的にこの声を出しているとしたら、とんだ策士だ。天才捕手ともてはやされる俺も敵わない、いつの時代の軍師様だよ。
とことこアレグロを叩く鼓動すら心地よく感じながら、本当に恋人になったのだと噛み締める。この間まで、走る鼓動は痛み以外の何物でもなかったのに。
あたたかな幸せを飲み込んで、そっと口を開いた。
「それを承知で、今日会えないかなって」
『まあ、順調にいけば時間つくれっけど、』
「無理そう?」
『きつい、かも』
「……今日、」
これを言うのは、ずるい手だ。口にしてしまったのなら、こいつは絶対に「行く」と返してくれるから。自分勝手、自己中心、エゴイズムの塊。なんとなじられたって、ハイその通りですと受け止めるしかない。
もちろん、無理強いをしたいわけではないのだ。突如現れたタイムリミットに、神経をすり減らしてほしくはない。恋人だぞ、健康でいてくれるなら、それにこしたことはない。好きな人の苦しむ様を見て愉悦に浸れるほど性根捻じ曲がってねえよ。そりゃあ、快楽に溺れる顔、とかは見てみたいけど。それは別の話。
豪勢かつ寂しい晩飯とするか、疲れを纏ったあいつと有意義な飯を喰らうか。くだらない二択だ、とっくに答えは出てるっていうのに。なぜなら自分は性格が悪くできているから。でも好きな奴とできるだけ一緒にいたい、ってのは人として普通のことだろ。そういうことにしてくれよ。
ちらりと届いた箱を一瞥して、電話の向こうに意識を戻した。
「すげー肉が届いたんだ」
『あ?』
「黒毛和牛、だって」
『くろげ、』
「部位、っつーか、肉の感じからするとすき焼き用ぽくてさぁ」
『すき、やき……』
「ついでに一人で食いきれる量でもねーの。だから、な?」
来いよ。
努めて軽く。恋人に対するソレよりも、悪友に向けるモノのように声を放った。
だって色気より食い気な話題だぜ。お歳暮に届いた高級和牛のすき焼き肉、推定三人前を消化するため、家においで、なんて。くすぐったさを孕みながら鍋を囲むより、馬鹿笑いしながら肉を奪い合う方が美味いに決まってる。
声色の下に隠した「一緒にいたい」の副音声。あいつは気付いたろうか。その前に「いつでも恋しいと」と言っているのだから、察しているのかもしれない。
色好い返事を期待して、他人より厚めの唇を閉じた。畳みかけるために、次は何を言おう。
『……ぁー、』
「だめか」
『ぅ、いやでも……、黒毛和牛のすき焼き、ぁああ』
「ほらほら、食べに来いよ。ふんわり火の通った野菜の上に分厚目い肉が横たわって、食えと言わんばかりに待ってんだぜ」
『く、っそがぁ! 死ぬ気で終わらせてヤッから首洗って待っとけ!』
「おー、野菜洗って待ってるわ」
こちらの冗談を聞き終えるかどうかというところで、食い気味に通話をブチ切られた。右耳に響くツーツーという電子音。人の話聞いてから切れよ、なんて文句も出てこない。むしろよくぞ言ってくれましたの歓喜でいっぱいだ。
やがて自動的に電子音が消えた頃、グッと左拳を握った。とびっきり美味いのを作ってやろう。肉以外の材料は近所のスーパーで調達する気でいるから、決して良質とは限らないけれど、愛を込めればなんとやらだ。高校時代の自分が聞いたら反吐を出しそう。そっとほくそ笑んで、いそいそとクール便で届けられた箱を冷蔵庫にしまった。
――すると、電子音。このタイミング、誰だろう。折角約束を取り付けたのだから、それを無碍にしない内容であってほしいものだ。取材とか入れられても、俺逃げるからな。尖る唇をそのままに、スピーカーを鳴らし続けるスマートフォンに目をやった。
「へ、」
そこにあるのは、珍しい名前。キラキラネームという意味ではない。こういう連絡を滅多に寄越さない人から、ということだ。
機械が苦手なこの人自ら電話をかけてくるとは、明日は槍でも降るのだろうか。こっちの家に将棋盤ねえよなあとぼんやり思いつつ、画面を軽くタップした。
「で」
「ハイ……」
コートを羽織ったまま倉持は、唇を内側に巻き込んだ。大丈夫、まだ、目は死んでいない。声色は大分冷めてるけど、平気平気、これくらいなら大丈夫さ。
「おぅ、倉持も来たのか!」
「先日ぶりだな」
「どもっす」
今日はローテーブルではなく、ダイニングテーブル。必要もないのに4つも椅子を買ってしまったあの日を後悔したこともあったが、こうして役に立っているのを見ると報われた気にもなる。
ただ、状況が状況だ。別の機会に、役に立ってほしかった。
――本当に、なんでこのタイミングなんだか。
俺の家に届いたのと、すっかり同じハコを携えやってきたのは、高校時代の先輩二人。ちなみに一人は同業ね、チームは違うけど、リーグは同じ。数えきれないほど対戦している。
一応、俺より先に、同輩に電話はしていたらしい。なんでも、丹波さんには「予定が合わない」と断られ、亮さんには「微妙、様子見」と告げられ(結局来てないけど!)、ようやく純さんに「しっかたねえなあ、付き合ってやんよ」と都合をつけて貰ったとのこと。
そこで終わっとけばいいものを、偉大なる先輩方は哲さんに入れ知恵をしていた。下手に自分で作るより、上手い奴に作らせろ、と。そして白羽の矢が立ったのだ。なんてこった。
電話をいれてくれただけ、マシと思うべきか。抗うより従え、頭の中で何度も倉持に謝って、今に至る。
コートを脱ぎつつ声をかけてきた二人をちらり、それからなかなか目を合わせられない俺をじとり。やっぱり大丈夫じゃないかも。そんなことはないと思いたいが、目を合わせる勇気も湧いてこない。突き刺さる視線そのままに、乾いた笑いを零した。
「はっはっは、……ゴメン」
「マ、肉が増えたんならイーんじゃねえの!」
わあ、その切り替えの良さに惚れそうです。これ以上惚れたら俺どうなるんだろう。溶ける。蕩ける。
先に来た二人の向かいに座った倉持は、鍋を見た瞬間に目を輝かせた。
二人が来てなかったら最初からこの顔を拝めたのだろうか。どちらにせよ見れたのだから良しとすべきか。俺の予想以上に、恋人との晩餐を楽しみにしていたと喜ぶべきか。ああ、なんだ、つまり二人っきりで飯食えると思ったのに期待外れでしたってコトだろ。顔が緩んできた。
「スッゲー!」
「まだ手ェつけんなよ」
「あれ、純さんって鍋奉行なんスか」
「ちげーよ、まだ肉いれたばっかなんだっての」
「えー、牛肉って生でも食えるもんスよね」
「チーター様とはいえ野生動物じゃねえんだから、もう少し火通してからな~」
きょとんとした顔を純さんに向けた倉持に軽口を向けつつ、椅子の背にかけたコートを抜き取った。好意でハンガーにかけたのに、全力の顰めッ面とコンバンハ。そんな顔すんなって。遠まわしに野蛮扱いされたからって、拗ねるなよ。ちょっと上昇した気分のおかげで、渋面すら愛らしく見えてきた。
「……まだか」
「哲さん、もうちょっと待ちましょうか」
「そうか……」
うまそうを連呼する二人をよそに哲さんを宥めれば、分かりやすく肩を落とした。あんた昔より分かりやすくなったよね。バッターボックスに立ったら最強なのに。無理にバランスとることも無いんだよ。
くつくつ煮立つのに合わせて肉が野菜がふるふる揺れる。煮え過ぎるのも良くないし、この面子なら腹を下すこともないか。早くも箸を構えた倉持を横目に斜め前を向けば、ぎらりと目を輝かせた純さんと目が合った。狂犬と言うべきか、腹を空かしたスピッツと例えるべきか。鳴き声だけは、高校時代既に様になってたって? 言わないでやろうよ。
器を左に、箸を右に。静かに構えれば、哲さんの右手もそっと箸を掴んだ。綺麗な持ち方のそれは、音も立てずに鍋へ照準を合わせる。
ちなみに本日、コンタクト。レンズに汁がはねるとか、湯気で曇るとか、一切気にしなくて良い。
「ソレデハ」
片言になったのはご愛嬌。ここからは、先輩後輩、恋人云々の遠慮は無用。甘えればすなわち、死だ。胃の。
ひゅっと息を吸えば、フライング気味に倉持の手が伸びた。
「いただきましょう」
「ッシャァオラァッ!」
「肉だぁあああ!」
「……ムッ、」
「んっ……!」
鍋から直接箸をつけるだなんて、行儀悪い? 知ったこっちゃないね、美味く食えたらそれでいいじゃん。
美味く、食えたのならば。
「「うっま!」」
一際大きく声を上げたのは、社会の荒波と真っ向から戦う二人。つるりと一枚飲みこんで、次の肉に箸を伸ばしている。食いつくされて堪るか、自分もまた、肉を取った。
「ンだおめーら、毎年こんなもん貰ってんのかよ」
「あーすっげーなにこれふわふわ、うんま……」
「貰ったのは初めてですよ、哲さんもそーでしょ?」
「ああ、だから余計に勝手がわからなくてな」
「ばかうま……」
「……なあクラモチクン、ペース早くねえ?」
「ちょううまい」
「うん……、そっかあ」
類稀にみる感動の真顔を見たら、それ以上咎めることもできない。純さんにガキかよと笑われても、食うのに集中する始末。そこは違いますとかなんとか言って笑い返すとこだろう。からかった方もいつもと明らかに異なる対応に拍子抜けしたらしく、性質の違う笑いを噴き出してから続きを食べ始めた。
本当に美味いものを食っている時、人は黙るという。まさに今、この時を指すに違いない。むつむつと鍋の中身を減らし、炊きがけの白飯を頬張り、――一先ずの満足を得られたという頃、次の肉を投入した。煮えるまでの間に、キュウリの浅漬けとだいこんのゆず漬けをさくさく、ぽりぽり。
四人いるくせに会話らしい会話もない。ただ、美味い飯を囲って、無心に食っているだけ。それでも温かな幸せが滲んでくるから、美味い飯というのは偉大だと思う。
「ぅん……」
「どした」
「うまいなあって」
「ブッハ、おい倉持いつもの柄悪ぃキャラどこいった!」
「んなっ、そーいう純さんだって珍しく静かに食ってたじゃないスか!」
「オメーが喋んねえからだよ!」
「理不尽!?」
おや、ようやくいつもの倉持が戻ってきたようだ。この調子だと、第二ラウンドは騒ぎながらになりそうだな。躊躇いなくと肉を減らしているあたり、下手に残ることもないだろう。
帰ってきた喧しい会話を懐かしく感じつつ、一足先に肉を取った。間髪おかずに哲さんも箸を伸ばしてくる。俺が食うの見計らってやがったな、この人。
じっとり睨むと、茶碗が空になっているのに気付いた。これは、うーん、盛ってやるべきか。気が利くようになったとか、俺も成長してんのかなあ。
「ご飯、おかわり入ります?」
「いいのか、頼む」
「あーす、そっち二人は?」
「おう、くれ!」
テーブル傍の炊飯器を開いて声を掛ければ、向かいから腕がのびてくる。寮母さんってこんな気分だったのかね。
多めに炊いた白飯をよそってそれぞれに渡せば、早速かきこみ始めた。早食いは体によくありませんよ、などと言うつもりは毛頭ない。高校時代に染みついた習慣でもあるし、自分もそうなのだ。棚に上げてまで言うことじゃない。
さて、じゃあもう一人は。隣の席の倉持を、ちらり、見やった。
「お前は?」
「俺はいいや。結構苦しい」
「一人前に食細ってんじゃねえぞコラ」
「現役退いてんのにそんだけ食える純さんがすげーんですって」
軽い笑みを浮かべつつ、ちゃっかり肉はとっている。飯より肉を詰める戦法か。
そう、と返して自分の茶碗にも飯をよそった。あーだこーだと純さんに文句をつけられる倉持を横目に、ふわりと湯気を立てるそれを一口。倉持のネクタイは緩んでいて、鎖骨がちらちらと視界を掠める。
心臓によろしくない。そんでもって、飯を味わう余裕もなくなりそう。意識を少しでも誤魔化そうと、食べるペースの落ちた口元に視線を移した。
「確かに、食わなくなったよな」
「ほォれみろ!」
「だーかーら、普通の量に戻っただけですって。つーか御幸、テメエと比べてんじゃねえよ」
「そりゃ俺と比べても仕方ねえけど、まだ野球続けてんだろ、簡単に細くなって良いワケ?」
「……成績残せてんだし良んじゃね?」
それはそうでしょうけど。ベビーフェイスと称されるだけの働きをしているのは確かだ。社会人野球の中ではどんな功績を残しているのか。せめてスコアブックが手に入れば、こいつの活躍の一端を見られるのに。
「へえ、まだ野球してんのか!」
「はい、純さんはしてねーんすか」
「俺ぁ大学でやめちまったからなあ」
「もったいねー、悪球打ち頼もしかったのに」
「だぁれが悪球打ちだ!」
酒は入っていない、よな。高校時代の縦社会も、月日が立てば緩くなるものなのか。
ヒートアップしていく二人の会話を聞き流していれば、向かいに座った哲さんの口が、わずかに緩んだ。その割に、目には苦しそうな色が浮かぶ。ほんの少しのため、気のせいと判断しえる程度。
きっと、この人は、純さんに野球続けてほしかったんだ。俺も倉持が野球してるって聞いて、繋がりがあるとほっとしたし。元チームメイトでも、動向は気になるもの。まして副主将として支えてくれた相手なら一入。自分の場合は、恋情が絡んでたってのもあるんだけどさ。
「どんぶり三杯が、茶碗一膳ねえ」
「あぁあうるっせえな!」
「いやいや、確かにあの時は馬鹿みたいに食ってたよなあ、って思っただけだよ」
「おめーらも入ったばっかはゲロってたしなあ! 特に倉持」
「それほぼ純さんのせいスからね!?」
「はっはっはっは、沢村に同じことしてたお前も同罪だって」
「ばっか、そりゃあ……、するだろ」
するなよ、ゲロ処理の面倒くささ、よく分かってたろ。真顔に近い表情で言い切った倉持に純さんが笑い出せば、ほろ苦さを消した哲さんもゆったりと笑った。懐かしいもんだねえ。
そりゃあ俺だってあの時ほど食ってねえよ。当時は体を作る目的で食べていた。高校生がほとんど大人と変わらないとはいえ、まだ未完成。練習量に体がついていかなくて怪我なんてこともよくある。今は、ガタイをベストに保つ飯、同じ飯でも意味が違う。
それに、したって。わずかに広がった身長差だけでなく、きっと体重にも差がついているのだろうな。
***
「箸止まってんぞ」
「ぐぅうぁああ」
謎のうめき声がしたかと思えば、背中側にいるルーキーがどんぶり飯をかきこんだところだった。入部して日の浅い一年にとっては、練習量に匹敵するくらいには辛かろう。去年身をもって経験したのだから、確かだ。こればかりは、才能もお手上げ。早々に試合に出してもらえた分、吐き癖がつかないよう加減して詰め込まれたなあ。
丁度一年前を思い出しつつ、背後に目を送れば、きっちり見張りをこなしている金丸と目があった。
「先輩は食い終わったみてーだぞ、お前らも詰め込め」
「そーだぞー、食え食え~」
「んンんん!」
金丸が言うのに合わせて煽ってやれば、頬袋ぱんぱんに飯を詰めた沢村が何やら抗議してきた。俺、日本語しか分からねえんだ、何言ったって痛くもなんともないぞ。
不細工な面を笑ってから残る二人の皿を見る。頑張ってる方だとは思う。が、まだ胃はついてかねえよなあ。疲れたときに食う飯ほど美味いものはないが、満腹の限界を超えて食わなきゃならねえってものキツイもの。食わせすぎによる吐き癖つけたくないから、塩梅は見てやるが、一軍としてやってくからには食わなきゃやってられないのも事実。
空の箸を口に運ぶ降谷を小突いた。
「ヒャハハ、ひっでえ顔だなあ!」
「あーあーまだ残ってるじゃん。冷めたらもっと辛いってのに」
するとさらにルーキーをなじる声。顔をあげれば、トレイを持った二遊間コンビが意地の悪い笑みを浮かべていた。もちろん、二人の手元の食器はきれいに空。米粒一つも残っていない。正直、亮さんの体にあの量が入ってるとか信じたくないけど、去年の時点でぺろっと平らげていた。人は見かけによらない。使い方がおかしいい。
「んんぐぅン! んンん!」
「栄純君、飲み込んでから話そう?」
「へえ、春市、沢村に構う余裕あるんだ」
「ない、です……」
小湊弟が、小さく一口、飯を運んだ。それじゃあ減らねえぞ。ゆっくりよく噛むほど苦しくなる。消化を思えばそうやって食うのが一番なんだろうけど、量喰らうには向かない食い方だ。とりあえずそこそこ噛んだら飲み込んじまえ。アドバイスをしてやるつもりは微塵もないから、必死だった自分と重ねてそっと笑った。
「ンなーんでお二人ともこの量を食えるんすか!」
「慣れだ、慣れ」
「一年はみんな苦しむもんなの。さっさと食べな」
「小柄に似合わぬ大食漢!」
「ぶっとばすよ」
「お兄様申し訳ございやせんでした」
「俺にも謝れ沢村コラ」
「ごめんなさい倉持先輩殿」
ようやくどんぶりの中身を減らし始めた降谷に一息。コント染みたやり取りをしつつも一番食えてんのは沢村なんだよなあ。流石オーバーワーク手前の走り込みをしてるだけある。その分ゲロってもいるからプラスマイナスゼロってとこか。
「なーんか、」
「んだよ」
「まだ文句がおありですか!」
五号室の目が刺さる。目つきの悪い倉持のが刺さるのは分かるけど、沢村も殺意込めたら迫力出るじゃん。それをマウンドでやれるようになればなあ。気迫で押し勝てることもあるだろうに。一年にそれを望んでもほぼ無駄、来年の春大までにポーカーフェイス習得すればラッキーってところ。
「違う違う、俺らで沢村並にゲロってたの誰だったっけなーと思って」
「倉持でしょ。俺らだと純だけど」
「よりにもよってコイツらの前で言わないでくれませんか……!?」
「事実じゃーん。純にアレコレ詰め込まれてゲロった倉持に、東センパイに詰め込まれてゲロった純。一年も気をつけな、食い物無駄にしたらただじゃおかないよ」
「おっ、おふっす……」
この場にいない純さんを散々貶してるけど、それ聞いていいこと? だから食わされたのかよと喚きだす倉持は別として、亮さんに気圧されて箸を加速させる一年トリオを見る限り効果はあったということか。つーか、会話の流れから着実に倉持と同じ道を辿っている、ということに沢村は気付いているのか。気付いてねえな。残り三口をまとめて口に詰めてるし。
なんとか飯を食い終わりそうな一年をよそに、去年の今頃を改めて思い出す。沢村に並ぶほど吐いていたのは倉持。次いでノリかな。後者は突如増えた量についていかなくなったせい、というのが大きい。けれど倉持は、――亮さんも言っていた通りだが、純さんに様々食わされたせいというのが主だ。流行りに乗じるならパワハラ、面白味があるとはいえ、ある意味悪習。
「吐き癖、なあ」
「……こっち見てんじゃねえよクソ眼鏡」
「っへい、ごちそうさまでした!」
「ごちそう、さま、でした」
「……ぅ、」
一年の手前、する話ではない。しかもどうにか食い終わったところだ。
当然、一年のこいつらに暴露して笑い話にするのはまだ先だ。冬合宿あたり、飯の量に慣れたあたりにするのがきっと頃合い。それまでは、黙っておこう。それこそ純さんが吐いていた筆頭というのは初めて聞いた、先輩としての矜持のため、言わないで置く手もある。
亮さんに発破をかけられて、三人はのろのろと立ち上がった。食器を返しに行くのだろう。早くも口を押えた沢村に金丸が叫んでいた。面倒見良いな、あいつ。
なんとなく見送って、それとなく倉持に視線を戻した。
「見んなつってんだろ」
「あでっ」
「……言うなよ」
「言わねーよ」
ああ、これは言えないな。つんと尖らせた口は拗ねたときのソレ。罵倒する勢いで言ってきたのなら冬にはあいつらに教えてやろうと思ったが、本気で言って欲しくないのだろう。額に落ちた軽い手刀は大して痛くもない。だが牽制の意は伝わってくる。
言わねえよ。お前が、練習についていくのがやっとで、吐き癖がつきかけたことなんて。沢村みたいに、動きすぎて吐いてもいたけど、それとはまるで質の違うものだった。自主練で鉢合わせた俺が知る、こいつの秘密。青春らしい甘酸っぱさも、真逆の淫靡さもないんだから秘密というのはしっくりこないけど。
「食えるようになって良かったよな」
「半分純さんのおかげだけどな。ゲロってもすぐ食わされたし」
「へえ、あの人も知ってたのか」
「いや、知らねーと思う。お前と、」
と。顔をあげた倉持の目線を、つい、追いかけた。
「――亮さん、だけ」
ああ、自惚れちゃいけねえな。こいつはいつだってあの人の背中を追いかけてんだもん。ほとんど並んでるように見えるんだけど、こいつにとっては大きな差があんのかね。鉄壁の二遊間、って言われるくらいに、お前だってすごいんだぜ。なんて言ったって、こいつには皮肉にしかならねえか。
世の中うまくいかねえな。
***
届いたすき焼き肉は、きれいなまでに無くなった。
残るかもしれない、なんてのは杞憂に終わったのだ。ついでに鍋の中でぐだぐだになった野菜も平らげている。炊飯器の釜も空。作ったものをこれだけきれいに食ってもらえるとは、もはや清々しい。
片付けはこの人たちが帰ってからにしよう。下手に部屋を荒らされるのも御免だ。いかがわしいものは全て寝室にあるからそこまで気を張る必要もないが、万が一のことがある。
そう、思ったのだが。倉持がテレビをつけると同時に、純さんが片付けを手伝うと買って出た。嘘でしょ、後輩をパシリにしていたあんたがそれを言うの。目を白黒させたところで拳骨を頂戴、肉を御馳走になった礼だそうで。どこか躾が行き届いているのは、この人の家庭環境のおかげかな。
「しっかしまァでっけえテレビだよな」
「はは、倉持にも同じこと言われました」
「そらな、アイツの場合ゲームやるから余計だろ」
「今度PS4持ち込む宣言されましたよ~」
「持ち、こむ?」
「あのテレビを無駄にしてたまるか、だそうで」
そして、流しに並んで立っている。純さんが白い布巾を片手に持っているのは似合わなさ過ぎて笑えるけれど、そこは何とか抑え込む。だって二発目の拳骨喰らいたくないし。手伝ってもらってるわけでもあるし。
まったく、飲み以外の席で隣合うことになるとは思わなかった。並んだ肩の高さに、倉持とは別の意味で緊張する。あいつより、少し低いくらいだろうか。言ってしまえば、間違いなく殴られるだろう。結局二発目を喰らうんじゃん。
でも、喋らずにはいられない。
「いやあ、」
「んだよ」
「やっぱ純さん小さくなりましィダッ」
「んだテメーは文句あんのかゴラ、ブッ殺すぞ」
「はっは、物騒~」
ほらね、頭ではなく脇腹にめり込んだ拳。地味に痛い。でも戯れで済む力加減。
テレビを見ていた倉持がわずかにこちらを振り返ったが、ただのじゃれ合いと判断したのだろう、すぐに視線は戻った。もう少し気にしてくれてもいいんだぜ。
「それ言ったら倉持もだろ」
「あーそれはまあ。でもアイツは、こう……」
テレビに向き合う背中に、上手い言葉が出てこない。痩せたとか、細くなった、でもいいのだけれど、ちょっと違う。なんだっけ、そこそこ使う言葉だと思うのだけれど、出てこない。ど忘れ。
洗い終えたすき焼き鍋の水気を布巾が吸い取った。くるりくるりと二周底を拭いたところで、内側へ。手馴れてる。蓋まで拭いてしまえば手持無沙汰になったらしく、倉持の隣に声を飛ばした。買っちまえって、軽く言うなあ、もう。
「――やつれた?」
これだ。やっと出てきた。しっくりくる。良い言葉ではないくらい、分かっているけど、今の倉持を表わすならこれ。
哲さんに向いていた視線が、ぐりっとこちらに突き刺さる。眉間には皺が寄っていた。
「お前なあ」
「あ、悪い意味じゃなく、いや悪いのかもしんないですけど。やつれたというか、疲れを帯びてるっていうか、それがなんか色っぽい? 大人の色気? みたいな」
「……はぁああ?」
「うっわひっどい顔」
「何言ってんだお前、そういうのは彼女作って言ってやれよ」
「はは」
付き合ってるんで、間違ってないですよ。いくらなんでも、それをカムアウトする気にはなれなくて、軽く笑って誤魔化した。
嫌な予感がすると純さんは顔を歪めたまま。バレたかな。嫌な予感で終わらせたいだろうし、これ以上突っ込んでくることもないだろう。余計な気を煩わせたくもないし、気遣われたくもない。
肩を竦めて炊飯釜を濯ぐと、大げさなほどのため息が聞こえてきた。
「はー……、っおい哲、帰るぞ」
「ヌッ!?」
ペさり、布巾が放り捨てられた。
郷土料理を誇張して紹介する番組をバックに、哲さんが目を瞬かせる。急すぎ。お茶でも淹れようかと思ったのになあ。わざとらしいとまた拳骨喰らいそう。
「気ぃ遣わなくてもいいっすよ」
「おめーのためじゃねえ、倉持のためだっつの」
「くらもち?」
「来た時からどっか残念そうな面してたろ、合点したわクソが」
かけてあるコートの二つを引っ掴んだその人は、躊躇いなくそのうちの一つを哲さんに投げつけた。この一瞬でボール状に丸めて投げるとは、なんという手さばき。いや、感心するとこ、そこじゃねえわ。
名残惜しいと言わんばかりの哲さんを立ち上がらせると、押し付けるように鞄を持たせた。思い立ったが吉日ってか。濡れた手を布巾で拭っている間にもう準備を整えてしまう。
「じゃあな!」
見送った方が、良いのかな。
存外混乱していたらしく、それに辿り着くころにはもう玄関が閉まっていた。俺はもちろん、倉持まで目を白黒させている。
劇的六十秒、嵐のようだった。あの人は狂犬でもスピッツでもない、カマイタチだ。物理的な足の速さじゃなく、行動力の意味で。さっと転ばせ、ざくっと切り付け、べたっと傷薬を塗って去っていく。
「……お前、純さんとなに話したワケ?」
「ちょっとほのめかしてみた」
「ばかなの」
「そこまで引いてる風ではなかったけど」
今日は顰めっ面を見てばかりだ。倉持に向けられ、純さんに向けられ、また倉持のそれを拝んでいる。せめてお前にはもうちょっと甘い顔してほしいんだけど。電話越しの、あの声を出していたとき、お前はどんな顔してた。どうせなら直接見たいもんだ。
「はあぁあ……、俺も帰るわ」
「あれ泊まってかねーの」
「明日も仕事だっつったろ」
「そっ、か」
おもむろに立ち上がった倉持に、肩が落ちた。ついさっきまで剽軽にすくめていたっていうのに。表情こそいつもの食えない笑みを浮かべていられるけど、帰るという言葉に思いのほか落胆している。分かってたことだろ、つーかテンションの上がり下がり激しすぎ。躁鬱じゃあるまいし。
流れる動作でハンガーラックからコートを抜き取ると、迷うことなく玄関に行ってしまう。男四人集まって、酒も飲まずに解散だなんて、珍しいこともあるもんだ。背中を追いかければ裸足特有のぺたぺたという音が響く。そろそろ裸足も辛い季節、スリッパくらい用意するかなあ。
とん、と革靴のつま先がタイルを打った。
「……お前さあ」
「なに」
振り向いた顔は、もう歪んではいないけれど、代わりに呆れた色をしている。その数秒で、何をしたっけ。自分の行いを顧みるものの、へらっと笑っていた以外に心当たりがない。
「してほしいコトあるなら、はっきり言え」
「へっ」
「そしたらドンと受け止めてやるよ」
邪魔したな、と言い残して、倉持は玄関の扉を押した。重みのあるそれがゆっくり開いて、冬の冷気を誘い込む。薄手のカーディガンを羽織った程度じゃ防ぎきれない寒さ。ぶるっと鳥肌が立つと、困ったようなそいつの顔が視界に入った。
けれど、扉が閉ざされると共に視界は狭まる。黒ずんだ空とか、電灯に照らされた白い吐息とか、少し、――ほんの少しだけ赤らんでいた頬とか。もう、そこにはない。
すとりと、あいつのセリフが落ちてくる。ぐるり、今度は胃の中を巡った。消化しようと暴れんのはもっと後にしてくんない?
咄嗟に引き止めなくてはと、あいつの触れた部分を寸分違わず掴んだ。けれど、一瞬の躊躇、何も用はないのに、引き止めて良いものか。良いじゃん別に、恋人なんだし。意味もなく呼び止めたってさ。そうは思えど、今の倉持は、"何か"がないと、引き止められないような気がした。
じゃあ、何を。
玄関を一周見渡し、二周目半分。
――銀色を見つけた。
「倉持!」
「んだよ、……ッ!?」
投げつけた動作は、牽制球のそれに近い。ずいぶんと小さいな、そもそも丸くねえし。
振り向きざまの左手に見事命中、コンクリートの廊下に落ちる音もしない。ナイスコントロール、身長差は広がっても、感覚で狙えるもんだな。まあ、こいつの反射神経が生きていてこそ、っていうのもあるんだろうケド。
「ナニ、コレ」
「家の鍵」
「ならテメーで持っとけよ」
「合鍵だし」
そう、合鍵。付き合い始めて三日そこそこで渡すものじゃない。ただの女だったら、絶対に渡していない。でも、お前なら。無自覚の期間が大分あったけど、焦がれて何年経ったと思ってんだ。
手元と俺とを行き来する視線に、なぜか頬が緩んだ。
「持っててよ」
「……」
「で、いつでも来て。なかなか会いたいって言わねーだろうから、そろそろかなとか、コイツ会いたがってんなとか、お前なら分かるだろ、そういうとき使ってよ」
「……いーのかよ」
「――昔より、ずっと上手く甘やかしてくれんだろ」
付き合う前に言われたこと、時効なんて言わせない。
約五メートルの距離を一気に詰めて、鍵に固定された顔を覗き込んだ。波打つ唇、中央に寄せられた形の良い眉、三白眼は強気にこちらを睨んでくる。
「カンタンに渡してんな」
「お前だからだって」
「使うかわかんねーぞ」
「いつか使ってくれるだろ」
「ワルイコトに、使われるとか、」
「優しい倉持クンなら大丈夫、ってかお前がワルイコトっていうとなんかエロいな」
「エロくねーよ!」
大きく響いた声に、つい噴き出した。噛みつかんと開かれた大口から赤い舌がちらついて、やっぱりエロいよ、お前。文句を言いながらも左手を握りしめてるのまでいじらしく見えてきた。
深夜手前に騒ぐのもなんなので肉の薄い頬を両手で挟めば、目元をずっと濃い朱に染めてくれる。貴重な赤面アリガトウゴザイマス。ぐにぐにと歪んだ顔を揉み解すと、吸い込んだ息がそのままため息になって出てきた。悪態吐きたかったんだろ、でも、吐けなかったんだろ。
自分でも、笑みが深くなるのが分かった。緩むに加えて意地の悪い顔。目と鼻の先にいる倉持には、ムカつくことこの上ないかな。でもやめられない。
視線を彷徨わせた末に、ぱたり、倉持は瞼を落とした。
「――もらって、やるよ」
押し殺した小さな声。痩せた肩が、耐えきれないと震えていた。
愛おしい、もっと近くで見たいと顔を近づけると、鼻の頭がぶつかった。構うもんか。推し進めると今度は額。しまった、近づきすぎてピントが合わない。この近さなら裸眼の方がよく見えるんだよな。おそるおそる開いた瞳に、上手く焦点が定まらない。
「ぅ、」
「ん?」
「~~っか、帰る!」
「おっ、おう、気ぃ付けて!?」
勢いよく突っぱねられ、唇を噛み締めた倉持がよく見えた。その顔もグッとくるわ。
乱暴にエレベーターのボタンを連打し乗り込んだそいつを見送って、寒気にそっと体を震わせた。俺も家に入ろう。静電気が起きないことを祈ってドアノブを掴んだ。
「ん?」
そして、やっと、気付いた。
「今、キスするタイミングだった……?」
本当に今日は、間が悪い。