一
冬合宿とは、それは、それは、恐ろしいものらしい。
二つ上の先輩には脅かされ、一つ上の先輩は去年の悪夢を思い出したと頬を引き攣らせていた。
冬場だろ、夏合宿以上にどう厳しくなるんだよ。時期的なことを考えれば、グラウンドを駆けまわるメニューより地味なトレーニングが増えそうだな。走れないストレスなら溜まりそう。でも、あの合宿を超える「しんどさ」になるだなんて、どうにも理解できない。
朝飯を食らいつつ、隣に座った眼鏡と目を合わせた。お前どう思う。俺信じらんねえ。やっぱり、俺もイマイチ実感わかねえ。
アイコンタクトで会話をしていれば、覚悟しておけよ、と髭を伸ばし始めた先輩に釘を刺された。
先輩、それほどでっかくねえ身長で、しかもバリトンみたいに低くない声で髭生やしても、ただのチンピラにしか見えませんよ。
流石に自分は言わなかったけど、隣の眼鏡は躊躇いなくソレを口にした。しかも、はっはっは、と腹の立つ笑い声付き。純さんのこめかみに、青筋が浮かんだのが見えた。この眼鏡には、それが見えたろうか。視力悪かったら見えねえのかな。
あーあー、俺、知ぃらねっと。
巻き込まれるより早く、空になった膳を片付けに逃げた。
そんな、今朝がた食堂で繰り広げられた、先輩たちとのやりとり。結局、一足先に逃げたのを、亮さんに見つかったんだよな。純さんにチクられてないと良いけど。どうだろう。
授業中だというのに、一連の流れが頭の中で再生された。重い返してみれば、あの増子さんや丹波さんすら顔を強張らせていた。ということは、よく絡んでくる二人による大げさな脅しじゃない。
マジかよ。また吐くのだけは勘弁。
カリッとプリントを埋めれば、二回目の再生が始まった。それだけ自分は、冬合宿にビビってるってのか。うわ、情けねえ。
頬杖をついたまま、ため息が零れた。
そんなことしてないで、授業に集中しろって? 言われなくても、それくらいわかっているさ。自分の頭は、お世辞にも良いとは言えない。できることなら勉強なんてしたくないし、机に齧りつきたくもない。
けれど、赤点を取ろうものなら練習に支障が出る。
やらねば、ならぬのだ。
高校に入って、この冬までで覚えたのは、テスト直前に勉強をしたってそれほど成果はでないということ。
もちろん、人によるのだと思う。クソムカつく眼鏡は山を張っての一夜漬けで中の上を収めてやがるが、自分にはそのやり方は合わない。
代わりに、授業さえ聞いておけば、きっちり復習せずともそれなりに試験は解ける。テスト前に慌てなくて済む分、見方によっては楽なのかもしれない。
中学のときなんざ、ろくにノートを取っていなかったのに。今じゃ、他の奴にコピーされる程度に優秀なノートを作っているときた。去年の俺がしったら絶対に指をさして笑う。絶対。賭けてもいい。
さておき、授業は聞いておかなくてはならない。しかし、今日の授業は、退屈極まりない。
どういうことかと、言うと。
――自習、なのだ。
(暇だ……)
囁き声の聞こえる教室の中、ある者は指示された課題に取り組み、またある者は既に終えたと自学自習を始める。
とはいえ、真面目なヤツばかりではない。終始携帯をいじっている助詞や、突っ伏して夢の世界に旅立っている男子もいる。実質の自由時間を、各々好きに過ごしているのだ。
どうせだし、俺も寝ようかなあ。
教師が置いて行ったという課題は、ひとまず終わった。
大して面白くもない小説を読んで、心情やらなにやら答えるだけの課題。日本語さえできれば、そこそこ埋められるんじゃねえのって内容のモノ。
他に何か注目すべき点があるとすれば、純さんに読ませたらいいのかなという恋愛小説ってことくらい。このプリント、提出じゃなければなあ。見せたのに。
でも、たった数十行だけのやりとりじゃ意味わかんねえか。しかも、ラブレター書く手伝いを友達にさせているだけのシーン。やっぱ見せたら怒られそうだ。舐めてんのかって。
しかし、まあ、暇だ。
暇を持て余すとはこのことに違いない。これといってすることも思いつかないし。うん、寝ちまうか。
くるりとシャーペンを回して、つらつらと書きこんだプリントを見つめた。あ、やべ、字間違えてら。寝る前に見返しといて良かった。
消しゴムで軽く擦った後、シャーペンの頭を二回ノック。
『俺が心のなかで定義する恋』
誤字を直しつつ、本文にも、問題文にも出てきた文章を眺めた。
恋とか、なにそれ。野球で手いっぱいだっての。
一番好きなのはグラウンドで野球をすることだし、他に好きなものって言ったらゲームとかカレーとかオムライスとか、そういうのしか出てこない。野球部の連中は好きっつーより、良い奴とか、悪い奴じゃないとか、そのくらいでしか思ってねえし。
小説中で、馬鹿みたいなラブレターを書いているそいつ曰く、「好きだー!」って叫ぶほどのもの。主人公と思しき、ラブレター作成を手伝っている男は全力で顔をしかめてそうだな。でなきゃ呆れかえって、ため息でも吐いてんじゃねえの。
そもそも好きってなんだよ。わかんねえっての。
プリントをどかして、下に敷いていたノートに黒を滑らせた。思ったよりも薄く細く、小さく書かれた二文字。
書いたところで、言葉が示すものなどわかりゃしない。むしろ、女偏に子どもという字が歪んで見えてきた。ゲシュタルト崩壊。小さいころ、漢字を練習しすぎてよく起きていたヤツ。
(好き、すき、スキ……、好き)
口の中で、音にならない言葉を発音する。声に出し続けても、ゲシュタルト崩壊ってあんのかな。字を書いている時ばかり起きる現象だと思っているのだけれど、試してみようか。さらに四回、口内で鳴らした。
舌がぶつかる音だけ、ちくたく、骨に響く。
好き。すき。す、き。
好き。
――涼し気に笑う、あいつの顔が、駆け抜けた。
「~~っ!?」
びくりと肩が震える。なんで、お前が出てくるんだよ。なんで、どうして。
あれこれと自問したところで答えは返ってこない。代わりと言ってはなんだが、一瞬浮かんだだけのムカつく笑みは一向に離れてくれなかった。
頭の中に胡坐を掻いて、上機嫌に笑いだす始末。どっか行けよ、お前の教室、隣だろ。起きてんだか寝てんだか知らねえけど、元いたところに帰れっつーの。
にやにやとしたそいつは、寮の部屋でそうするように寝転がって、ぺらぺらと雑誌を捲る。たぶんグラビア。せめてそこはスコアブックにしとけよ。お前から野球取ったら他に何が残るワケ。ああ、顔はイイんだったな、あまりに性格が歪んでいるものだから、イケメンだってこと忘れてたわ、クソが。
クソがっ!
諦めよう。ついでに寝よう。静かにため息を吐いて、どさりと机に突っ伏した。
瞼を閉じれば、自然とそいつの存在に意識が向く。そうしたくなくて寝ようってのに、邪魔してくんなや。
自由気ままで、自分勝手で、人の頭ン中にまで不法侵入してくる。なんて男だ。
(なんだよ、これ……)
あいつの取柄は、それこそ野球しか知らない。他に何かあったとしても、自分のことをどうこう話す奴じゃないのだ。何を話すにしても、野球そのものが絡まなければ会話にならない。青道に入った理由とか、シニアでどんな活躍をしたのかは聞けても、中学はどうだったとか、家族はどんな感じかとか、あいつ個人のことはさっぱりだ。
見方を変えれば、あいつはそれだけ野球に傾倒しているということ。ひたむきとか、真摯とか、そういう言い方もあるんだろうけど、あれは偏っているって言ったほうが相応しい。
けど、たぶん、一生野球で食ってくとなると、あれくらいバランス崩れてないとやっていけないのだろう。
天は人に二物を与えず。捕手としての秀でたセンスに、勝負強さ、そんでもって、まあ、整った顔立ち。性格が歪んでるとか、孤立してるとか、言われるくらいがきっと丁度いいのだろう。
なにより、あいつは天才だ。でもって、今の俺とは見ている世界が違う。
高校に入って、いくらか視野も広がったと思うのだが、あいつの見据える景色だけはどうにもはっきり見えてこない。漠然としか描けないのだ。
あまりにも明確で、歴然とした、差。
心のどこかで「敵わない」と思っている。それが悔しくて仕方がない。足には自信があるのに、前を走るあいつに追いつけないんだ。いつか絶対にその背中を捉えて、ドロップキックしてやる。いつかは、いつ、来るのだろう。
プラスとマイナスの感情が、ぐるり、腹の中で渦巻いた。
――ムカつく。
それ以上に、すごい奴だと思ってる。
だからこそ、あいつに認めさせるまでは走りぬきたい。
どれだけ憧れてんだよ。よく考えてもみろ、野球取ったらほんと、ろくな男じゃねえぞ。
もっと尊敬すべき人はいるだろ。身近な人だったら、亮さんとか。哲さんとか。ちょっと背伸びして監督とか。……母親、とか。
よりにもよって、なんであいつだよ。
(野球してえな)
俺は遊撃手だから、あいつの視線を真っ向から受け止めるなんて、数えるくらいしか経験していない。受け止められるのは、きっと、投手の特権だ。
もちろん、エースって響きはカッコいい。けど、スイッチヒッターとか、リードオフマンのほうが、ずっと気に入っている。だから、このポジションとか、立場とか、不満はない。
ただ、試合中、塁上であいつの放ったボールを受けたとき。力強く、真っ直ぐこちらを狙って投げられたそれをミット収めたとき。僅かな間の後、審判の握り拳が作られると、あいつは不敵に笑うのだ。
キャッチャーマスク越しにだって、ホームからあれだけ距離があったって、笑っているとわかる。知ってるか、ホームと二塁との直線距離って、三九・七九五メートルなんだって。そんだけ離れていてもわかるって、どういうことだよ。
でも、その好戦的な顔は、いつだって高揚をくれる。
あの顔は悪くない。むしろ好きなほう。ほう、なんて曖昧な言い方は止めよう。
好き、だ。
そうか、あれが好きなのか。
俺の好きに、あれは入るのか。
へえ。
「っ!」
伏せていて良かった。酷く顔が熱い。これは間違いなく血が集まってきている。頬が、目尻が、カッカと火を噴いたみたいだ。
またもや肩が揺れて、反動で体が強張る。余計に頭あげづらいじゃねえか。
わざとらしく深呼吸をして、ため息を誤魔化した。
大きく吸って、長く吐いて。突っ伏した状態じゃ呼吸もしにくい。肺が膨らみにくいからなのか、気道を曲げているからなのか。
妙な息苦しさに溺れていれば、つんと、背中を突かれた。
「どしたの倉持、大丈夫?」
「あー、……まあ、平気」
どうにか体を起こして、背後に首を捻れば、渡辺が困った顔をしていた。同じ野球部とはいえ、中にはあまり話さない奴もいる。夏休みくらいまでは、渡辺もその部類だった。
それでもクラスが同じで、席が前後になれば別である。真面目ちゃんと話が合うものか、だなんて所詮は思い込みに過ぎなかった。深く踏み入ってくることもなく、かといってそこまでの遠慮もしない。
良い奴なんだよなあ。あとめちゃくちゃ周りが見えてる。俺よりすっと見えてる。
すげえだろ、俺が威張るところじゃないってこともわかってるけど、自慢させろ。
「寝不足? さっきから肩がくがくしてるんだけど」
「や、ほんと平気だって。することなくて、ちょっと眠くなったダケ」
優しい奴め。それこそ、あの男だったら躊躇いなくからかいに来るって言うのに。
ん? いやだから、あいつと比べてどうすんだって。
「ならいいけど。そういや、次の数Ⅰ当たるよね、ちゃんと予習した?」
「ゲッ……」
「やることあったじゃん、良かったね」
「ナベちゃんさあ、何気にキツイよな」
「だって倉持が解けないと、あの先生こっちに当ててくるんだもん」
「ヒャハッ、連帯責任ってか?」
「他にも野球部いるのに……」
ため息交じりにぼやいてから、渡辺は教室を見渡した。窓際の後ろであるため、他の連中の背中がよく見える。一軍二軍の差はあれど、同じ部の奴は覚えている。誰が起きていて、誰が寝ているのか丸わかり。
「なあ、俺当たんのってドコ」
「確か、前の続きだったと思うけど」
机から教科書を鶏出汁、つるつるしたページを捲っていく。公式にだけ線を引いた、小奇麗なもの。言ったろ、きっちり復習する性質じゃないって。置き勉なんてしょっちゅうだし、最低限しか持ち歩かない。
やった覚えのあるページで止まれば、渡辺の手が伸びてきた。手の大きさは大体同じ。でも中指のペンだこが目立つ。俺なんかより、よっぽど勉強してんだろうな。聞けばわかりやすく教えてくれるし。
「ここ、たぶんこの二番」
「……待て、これやったっけ」
「やったよ。公式組み合わせるだけだから、そんなに難しくもないし」
「俺の頭舐めんなよ」
「自虐やめなって」
渡辺がもう課題を終えているのを確かめて、開いた教科書を置かせてもらう。さらに自分の机からノートも持ってくる。ぱっと問題を眺めて、解法がさっぱり浮かばない。なら聞いたほうが早い。
わずかに口の端を持ち上げて、強請るようにじっと渡辺を見つめた。
「教えて」
すると、なぜだか目を瞬かれた。それから、軽く噴き出して破顔する。今、別に変顔をしたつもりはないのだけれど。あれ。
「あっはは」
「な、なんだよ、んな変な顔してねえだろ」
「うん、でもそれ、……たまに御幸もするよね」
「ハ、」
「あれ、見たことない?」
「いや、それってどれだよ」
「え~、あ~っと、……うっすら笑いながら、こっちじっと見てくるやつ。ノート借りに来たときとか、よくそういう顔してうr」
「ま、じかよ」
「嫌そうだね」
「嫌に決まってんだろ」
よりにもよって、なんであいつなんかと。
ぐにぐにと口元を揉み解していつもの顔に戻しても、愉快だと笑う渡辺の顔はそのまま。問題を教えてもらう手前、怒るに怒れないが、せめて不機嫌だけは剥き出しにさせてもらいたい。良いよな、許せ。
「一緒にいる時間長いと似てくるのかな」
「似たくねえっての。それに、大して一緒にもいねえよ」
「二人に一軍歴考えたら、一緒にいるほうだと……」
思うよ、かな。続く言葉があるとすればきっとそうだ。
だが、渡辺が教科書やらノートやらに視線を落とした途端、言葉は止まった。問題をもう一度見て、わからないところでもあったのか。渡辺でわからないのなら、俺はもうお手上げなんだけど。どうすっかな。
かといって、まるで考えずに「わかりません」と答えるわけにもいかない。また勉強していないのか野球部は、なんて小言を吐かれては堪ったものじゃない。
仕方なしに、渡辺が見ているだろう辺りに視線を走らせた。
教科書に載った、ややこしい方程式。xとかyとかzとか、二乗三乗頭が痛くなってくる。数式から目を離して、隣の淡々と罫線の印刷されたノートに逃げ込んだ。
白い、ノートだ。
あれ、でも待てよ、さっきなんか書いた気がする。
っていうか、書いてある。薄く、細く、小さく。でも、明らかに自分の字で。
好き、の二文字。
「ぅあ……!?」
「い、伊佐敷先輩に中てられた?」
「ちが、これはっ!」
慌ててシャーペンで塗りつぶしたが、駄目だ、これは消しゴムのほうが良かった。強い筆圧で潰されたせいで、ノートの紙がひしゃげてしまう。
面倒臭がらず、数学のノートを取り出せば良かった。とりあえず、メモできればいいと、開いたノートをそのまま連れてくるなんて真似をしなければ。
特に意味もなく、何気なく書いただけの一語に羞恥が込み上げてくる。
「っふふ、あはは」
「笑ってんなよ……」
「ごめん、でもふふっ……、ちょっと、安心した」
「安心だあ?」
頬杖をついて笑う渡辺が恨めしい。柔らかな印象はあるけれど、笑うときは結構はっきりと笑うんだよな。女子みたいに口を覆うこともないし。
今なおくすくすと笑う渡辺は、いたずらに成功した子どもみたいな目をして続ける。
「同じ、高校生なんだなあって」
「高校生だよ、中坊に見えるってか」
「そうじゃなくて。ほら、まあ御幸は春先からだけど、倉持って夏から一軍入ってるだろ。だから、タメだけど、ちょっと距離取っちゃうっていうか」
ああ、そういうこと。
俺自身、他の奴から距離を取っている。自覚はある。どこまで信頼していいかなんてわかんねえし。あと、隣との距離を詰めるより、前を進む背中を追いかけたほうが気が楽だし。
ついでに話に出てきたあいつは、また性質が異なる。あれは本当に独りが好きなのだ。誰かとの距離を測りかねているのではない。必要と思えば、躊躇いなく土足で心のなかに入ってくるし、興味がなければ近寄っても来ない。野球をするのに支障がなければ構わない、ってところか。
それにしても、渡辺に言われるとは。いや、渡辺だから言ってくれたのか。
他の奴らとのコミュニケーションに不都合はないが、少しは気を付けたほうが良いのか。変に頭を使えば、「馬鹿が頭使ってんじゃなよ」と亮さんにからかわれそうだな。
浮かんだ小柄な背中に、息を吐いた。
「それに、ほら、」
「ん?」
「二、三年にも一目置かれてるし」
おお、このタイミングでそれを言うか。実はエスパーとか言わねえよな。
「純さんとか亮さんに目ェ付けられてるだけだって」
「見込まれてるってことじゃん」
言い換えるのがうめえなあ。けど、期待していいもんか。きっと構いやすい後輩その一とか、いびればその分伸びる後輩その二とか、たぶんその程度のもんだし。あれ、これって見込まれてるってことなのか。
確かに、純さんは別として、亮さんが見込みのない相手に時間を割いてくれるとは思わない。努力は認めてくれる人だから、頑張ればその分、言葉と叱咤をくれる。高校に入るまで、自分が叱咤激励で伸びるタイプとは気付かなかったなあ。あの人のおかげなのか、あの人のせいなのか。
一見朗らかなのに、腹の中では真っ黒な笑みを浮かべている。思い出したら、ぶるりと背が震えた。信用はしている。でも、まだ、ちょっと怖い。とも、思う。
「好き、ってのに振り回されるのは、一緒なんだね」
――そんなことを考えていたからだろう。渡辺の言葉に、少しばかり、反応が遅れた。
「……それほど達観してねえよ」
「うん、良かった。そこまで悟ってたら引いてたし」
「まあクソ眼鏡は知らねえけど」
「御幸はねえ……、例外っていうか、特殊っていうか」
野球一辺倒だから。
呆れたふうに付け足したそれに、ひどく納得を覚えた。やっぱりそうだよな、そう見えるよな。野球に偏っているという俺の見解は間違っていない。
「ただ、あの顔だから。えぐいこともしてそうだよね」
「うっわームカつくわーイケメン爆発しろ」
「あ、言っといてなんだけど、そうでもないのかも。最近グラビアかなんか見てなかった?」
「長澤ちゃんか?」
「そうそう」
「あ~れの場合は、……コレだろ」
ボールを握るには緩く開いた手を、二つ。両胸のあたりにさりげなく掲げれば、笑っていた渡辺が真顔になった。もちろん、俺も真顔である。
わかるぜ、DカップだかEカップだか、細かいことは忘れたが、たわわなソコには確かに目が留まる。
だがここは教室。あっけかんと言ってしまえば、残る数か月間、女子の痛い視線を浴びる羽目になる。そんなのイヤだ。しかもあいつ絡みでとか、もっとヤダ。
「なんだかんだいって、御幸も倉持もフツーってことかな」
「御幸と同じ括りってのがスゲー癪なんだけど」
「えー、コレの解き方教えないよ」
「ごめんなさい教えてください」
シャーペンを握る手にそっと力を入れた。冗談、と笑ってはくれるけど、来年、再来年あたりは亮さんみたいになってるんじゃねえの。頼むから、渡辺は野球部の良心であってほしい。邪悪な良心じゃなく、公正な、良心。
ようやく問題の方程式を睨み付けて、使うらしい公式をねめつけて。いやー、わかんねえな。何で一番じゃなく、二場なんだ。つーか、三番のほうが簡単に解けるんじゃねえの、コレ。
悪態を吐きそうになるのを堪えて、口をへの字に歪めた。
「あ、でもその前に。一個良い?」
「んー?」
顔を挙げると、にやりとした渡辺。だめだこれ、メンタル抉り隊・亮さん候補。決定。
「相手って、誰?」
――駆け抜けたのは、またもや、あの、涼し気な男前。
「言わねえし!」
「やっぱりだめかあ」
今度はいつもの、穏やかな笑みを浮かべて、渡辺は問題に使うらしい公式を指さした。