子どもの頃の夢はプロ野球選手だった。
 理由は簡単。なにより野球が好きだったから。他にも、スイッチヒッターって響きがかっこよかったってのもあるし、俺にとって稼頭央がヒーローだったってのもある。それに周りに一目置かれる程度に上手い自信もあったしな。
 それが故での、プロ野球選手。子どもの頃の話だ、これくらいの夢、誰だって持っていただろう。
 ――だが、現実は、甘くない。
 子どもの頃に描いた夢と同じ職業に就けるやつなんて、ほんの一握り。そして俺は、その一握りの人間にはなれなかった。
「肩凝った……」
 合同説明会の行われた建物から出て、大げさにならない程度に肩を回す。途端にごきりと音を立てやがって。
 慣れないことはするもんじゃない。したくもない。だが、しなければ今後生きていけない。
 野球だけで生きていけるなんて、所詮は夢物語。甲子園出場経験者であっても、全員が野球で食っていけるわけじゃないのだ。大多数は一般企業とかに就職。プロ野球やらメジャーリーグやらといった華やかな世界に羽ばたけるのは、ほんの一部の奴だけ。
 とはいえ、知人に野球選手が多くいるのを思うと、過去の選択肢を一つ二つ変えるだけで、自分もそこにいけたのかもしれないが。稼頭央と同じ舞台に立てたかも。でも、そこまで野球一本で生きる道を、俺は選ばなかった。
 自分の選択に悔いはない。だからこそ、大人しく、十二月の就活解禁を迎えた大学生らしくいられる。説明会にエントリーシート、履歴書、面接と鬱々となるが、皆そんなもんだろ。どっかに引っかかればいいや。
「あっれ!」
 もう一度肩を回すと、後ろから声がした。
 初めての合説ってんで、緊張してる就活生が多いって言うのに、中には暢気な奴もいるんだな。数多いるリクルートスーツの誰に話しかけたか定かではないが、自分には関係ないだろう。
 今はとにかく、家に帰りたい。スーツを脱いでジャージとかスエットの楽な格好に着替えたい。高校の制服も似た形だったけど、まるで着崩せないんだ。緊張感では天地の差がある。
 そういえば、高校の時、監督に呼び出されたときの緊張もこんな感じだった。シャツのボタンは一番上まで留め、ネクタイは緩めずに結び目を作る。ベルトだって腰回り丁度に合わせて、腰履きだけは絶対にできなかった。それをキープして、さらに姿勢も正す。何かを聞くとなったら敬語が必須。失礼があったら即ゲームオーバー。
 人生ゲームオーバーがかかっている以上、ある意味でそれ以上の緊張感って言えるのか。
 あー、就活こえー。
「おい、ちょっと!」
 お前、そんだけでかい声出してまだ気付いてもらえないのかよ。
 もしかしたら、声を掛けられている方は無視してるのかもな。空気を読まずに明るく楽しそうに呼びかけてくるんだ、俺だったら他人のふりしたい。明るいだけならまだしも、ある程度節度あるトーンにしとけよ。間抜けというか、能天気というか、この場にあう声じゃない。
 話しかけられている奴も災難だな。
「おいっ、おーまーえーだーよ!」
 なんか、声近付いて来てねえか。まさか俺だったりして。
 いやでも聞き馴染のある声じゃないし。かといって、まったく覚えのない声色でもないのが恐ろしい。どこかで聞いた声ではあるんだ。ただ、親しい奴の声とは重ならない。
 違う、きっと違う、俺の周りにも何人かスーツ姿の野郎いるし。違うと信じたい。ほら、誰か振り返ってやれよ、傍迷惑な知り合いが必死に呼びかけてきてるぜ。
 つい、歩く足が早まった。
――おい倉持っ!」
「うっわ!」
 嘘だろ、やめろよ、名前呼んでんじゃねえよ。悪態を吐こうにも、周囲のリクルートスーツが「振り返ってやれよ」という視線を送ってくるせいで敵わない。
 引き攣る顔を取り繕う気にもならず、ひくひくと頬が痙攣するままに、ちらっと声のする方を振り向いた。
「やっとこっち見たぁ!」
「こっち見た、じゃねえよクソが」
「クソじゃねーし、成宮鳴様だし!」
 テメエかよ、つーかホントに俺かよ。
 声高々に、しかも様付けまでして自分の名前を言い放ったソイツ。自然と視線が集まっていった。
 成宮って、あの成宮か。そうだよな、プロ野球選手の成宮だよな。イケメン。かっこいい。結構でかいな。言うほどでかくなくね。
 ひそひそと囁かれるうちに、仁王立ちした成宮の鼻が高くなっていく。天狗になるって、たぶんああいうことを言うのだと思う。そろそろ注目やめてやれねえと、ピノキオ並に鼻伸びるぜ。嘘を吐いて伸びるのではなく、噂されて伸びるってあたりが、目立ちたがりのこいつを如実に表している。
 さて、俺には関係ない。というか、関係無いことにしたい。振り返ったばかりだが、即座に踵を返した。
「アッ、待てってば」
「ゲッこっち来んなよ、俺まで目立つだろ」
「いいじゃんか、倉持だって目立つの好きだろ、たぶん!」
「確証ねえ癖に自信持って言うんじゃねえ!」
「いーいじゃーんかあ!」
 さっくりと、肩に視線がささった。成宮が一歩また一歩とこちらに近寄るにつれ、自分に突き刺さる視線も増えていく。
 こいつの記憶の中にいる俺は目立つのは嫌いじゃなかったろうが、今の自分はそうじゃないんだ。就活生だぞ、目立ったところで、出る杭は打たれる方式で潰される。そんなのごめんだ。
 お前とは住む世界が違うんだよ、察してくれ。
 こうして騒いでいると、同い年どころか年下に見えてくる。ぎゃあぎゃあと騒ぎ続ける成宮を、どうやって大人しくさせよう。
 とりあえず、口を開いた。
「……なんで、こんなとこいんだよ」
「ああ、暇つぶしに散歩してた」
「ならそのまま散歩続けてろや」
「だってさあ、きっちりスーツなんか着ちゃった倉持見つけたんだよ」
「知るかよ」
 舌打ちを抑え込み、低い声を出せば、いくらか声量を落として応じてくれた。相変わらず、通りかかる人皆の視線は浴びているが、大声で言い合うところを見られるよりはずっとマシ。
 帰りたい。そう思うのに代わりはないが、簡単には解放してくれる気もしない。飽きるまで、会話に付き合ってやるしかないか。下手について来られるのも嫌だし。
「つーか、何でそんなカッコしてんの。ウケる」
「笑ってんじゃねえ、就活してンだよ」
「エッ、プロ来ないの、うっそお、来ると思ってたのに!」
「買いかぶりすぎだろ……」
「ハァ、俺が冗談で褒めるワケないじゃん」
 プリンスとも呼ばれよう男が随分と柄の悪い顔をするもんだ。思い返せば、その異名を付けられたのはこいつが高二の時、未だにそれで呼ばれてるのもスゲエよな。
 それは置いといて、確かにこいつは冗談で誰かを褒めることは少ない。皮肉であったとしても、できる奴は認めるし、未熟な奴は蔑む。シンプルでわかりやすい。そんで、俺はまあ、成宮に認められるだけの能力を持っているってところか。
素直に喜べないのは、ひとえにこいつの鬱陶しさのせいだろう。
「……ねえ、マジで来ないの」
「行かねーよ」
「大学野球はやってんだろ、しかも結構勝ってるって、」
「へえ、大学野球も見てんのか」
 つい、感心してしまった。
 プロにいるのだし、こっちのリーグには興味のないものだと思っていたのだ。でもこいつ、プロに入ってしばらく負け続きだったよな。高校のときと比べていいかは疑問だが、当時のように華やかに活躍しているイメージはない。
 甲子園で有頂天になったドラフト一位指名投手も、プロの荒波に揉まれて丸くなったと言うわけか。それで他の才ある選手を見ていて損はない、という見方に辿り着いたのかもしれない。
 月日は人を成長させる。腹の立つ言動は変わらないが、少しくらいなら褒めてやってもいい。成宮の印象、三ミリくらい改めようか。
 と、思ったのだが。
「そう、一也が言ってた!」
「あ?」
 眩いばかりの笑顔で言い放たれた言葉に、ついこちらの形相が悪くなる。すれ違った就活生がびくりと肩を震わせていたから確かだ。
 しまったな、あんまりこういうとこで柄の悪さ出したくねえのに。
 皺を取ろうと右手で眉間を揉むものの、笑いながらこちらを指差してくる成宮のせいで、取れる気がしない。大口開けて笑いやがって、その口になんか突っ込むぞ。――駄目だ、鞄の中の飴玉しか思いつかない。突っ込んだって、逆に喜びそうじゃねえか。
「あっはは、元ヤンこわっ」
「笑ってんな、怖いなんざ思ってねーだろ」
「うん、全然怖くなーい。塁に立ってるときのがずっと怖いね」
 いつ走られるかって、堪ったもんじゃないよ。
 今度は口の片一方だけを吊り上げ、剽軽に笑った。人のことを、あたかも足しか取り柄が無いみたいに言いやがって。いくらか打てるようにはなったし、守備でだって、鉄壁と呼ばれるに値する動きしてるっての
 もう眉間の皺を取るのは諦めよう。いくらか高い位置にある大きな目を睨みつければ、高慢さのある笑いが和らいでいった。心なしか残念そうな、物足りなりなさそうな、そん顏。
 そして、少しだけ視線を上向きにすると、成宮は細く息を吐きだした。
「ふうん、そっか、倉持は来ないのかあ……」
「まだそれ言うのかよ」
「来てよ」
「行かねえっての」
「一也、凹むよ?」
「なんで御幸が出てくんだって」
 何かにつけては一也一也って、昔から本当に御幸のこと好きだな。
 バッテリーとしての相性が良いからって、そんなに構うものかね。野球を中心に世界を回しているからこそあいつの占める大きさもでかいのか。
 真っ直ぐにあいつを求められるのが羨ましい。違う、別に羨ましくなんかない。投手と捕手の関係を、野手が羨んでどうする。
 それに凹むとは。なんで俺がプロに行かねえと凹むんだよ、お前がお前の意志でプロの道を選んだように、俺は俺の意志でプロにはならないと決めたんだ。文句を言われる筋合いはない。勝手に凹んでろ。
 口を尖らせながら首を傾げると、成宮もきょとんとした顔をして首を傾げた。
「あれ、倉持ってさ、一也が不調のときに声掛けたんじゃないの」
「はぁ、知るかよ?」
「えぇえ、一也がそう言ってたんだって」
「記憶にねーよ」
「うっそだあ、去年の今頃、あれ、もっと早かったかも。……その辺の時期に、倉持から電話あったんだって、久々に緩んだ一也の顏みたもん」
「去年……?」
 あいつに何かしたっけ。思い返してみるも、ピンと来ない。去年の今頃、十二月、何かをした記憶はない。
 じゃあその前はどうだろう。思い出せと成宮に肩を揺すられるままに思考を巡らせる。ぐらぐらと揺れすぎて思い出せる気もしねえな、一回離せよ。諫めるためにも、騒ぎ立てる成宮の小顔を片手で掴んでやった。
「ぅぶっ!?」
「顔ちっさ!」
「王子だから~、……じゃない、離せってば!」
 腕を突っ張られると、折角掴んだ顔が離れていった。
 たかが数センチの身長差でも、腕の長さは大分違うらしい。成宮の両手は俺の肩を押さえてぴんと伸びているのに、こちらから成宮の顔には届かない。首ならぎりぎり行けるかとも思ったが、これは無理だな。
 日本人の平均身長はあるため自分を小さいとは思わずに過ごしてきたが、これは地味にカチンとくる。
「で、思い出した?」
「わかんねえっての」
「思い出してよ、一也が劇的びふぉーあふたーしたの、倉持から電話あったからなんだって!」
「……お前、英語苦手だろ」
「うっるさいな、今カンケーないだろ」
 舌足らずな平仮名発音が気になるが、思い出せと迫られることに代わりはない。電話なんてしただろうか、一年前のたった一件の電話内容を覚えてられる奴がどれほどいるだろう。かなりインパクトある通話しねえと、ほとんど忘れるって。
 そんな中、一応思い出そうと頭を働かせてやってんだ、ありがたく思いやがれ王子風情が。
「思い出せよ!」
「今記憶の発掘作業してるっての、つーか離せ、近い」
「倉持が思い出したら離れてやるよ」
「理不尽って言葉知ってるか?」
 今度ははっきりと舌打ちを伝えてやった。それでも思い返すことは続けているんだ、褒めろ。
 去年の十二月、じゃない、十一月辺り。俺はあいつに電話をしたらしい。去年と言えば何があった、特に御幸周りで。そうだな、意図的にあいつのニュースを見ないようにしていたが、その頃からはもう気にせず読むようになったはず。そうするに至る転機があったのだろうが、果たしてその転機とは。
 十一月、電話、御幸。その三語をくるくると回した。
「……ん?」
「思い出した!?」
「待て、なんか出てきそう」
「早く早く、そーれ出てこい、それそれ出てこ」
「うるせえちょっと黙ってろ」
 成宮の喉から潰れた蛙の声がした。食い気味に黙らせたから、機嫌を損ねてしまったかもしれない。自分大好きの自己中だし、言おうとしたことを遮られるのは嫌う質みたいだし。だが、お前の求めるものがすぐそこまで出かかっているんだ、見逃せ。
 去年の十一月、大分寒くなってきた頃。それまで必死に目をそらしていた御幸のニュースを不意に見てしまったんだ。怪我とか、不調とか、マイナスなワードばっかりのやつ。
 そんで、腐ってんだろうなって思って、電話したのか?
 それは違う、なんだったろう、別に電話する気はなかったんだ。ああ、大分鮮明になってきた。もう少しだ。
 予想外に、間違いか何かで電話してしまった気がする。たぶんそうだ。それで、切るに切れなかった。
 でもあいつの声は卒業してから一度たりとも聞いていない。そうだ、留守電につながったんだ。それで諦めて切ってしまえば良かったのに、あろうことか、俺は、

「『めげてんじゃねーよ、ハゲ』」

 あの時より、だいぶ落ち着いたトーンで、言葉がよみがえった。
「へ?」
「だから、御幸に言ったのだろ。それ以外にねーんだけど」
 これだ、たぶん、電話と言えばこれしかない。ほぼ間違いで電話をしてしまって、そのせいで焦った俺が口走ってしまった一言。自分でもあれはないと思った。
 今でこそ笑い話になるが、言った直後はもう二度とスマホの電源をいれるものかと頭を抱えたものだ。
「めげてんじゃ、」
「ねーよ、ハゲ」
「はげ?」
「ハゲ」
「ハゲって!」
 ぽかんとしながら言葉を繰り返す。そのうちに理解できたようで、楽しそうに成宮が噴き出した。
 ハゲといえば聞こえが悪いな、スキンヘッドとでも言いかえてみよう。ほら、なんとなくまともに聞こえる。御幸のスキンヘッドとかギャグだけど。
 プロになると決めた年に、いくらか髪は切ったが短髪の範疇。どうせ二、三年で元の髪型に戻っているに決まっている。というか、ニュースで時折見かけるあいつは、見慣れた髪をしているから、それは確かだ。
「ハゲてないのに!」
「ハゲろの意味を込めて」
「あはははは、坊主の一也見たくなったじゃん」
「刈ればいいだろ」
「ブフゥッ……、ふはっ、あっははサイコー!」
 身近なんだ、バリカン持って近づけば、成宮なら刈れるんじゃねえの。
 そこまで面白いことを言ったつもりはなかったが、こいつの笑いのツボを付いてしまったらしい。俺の言動というより、御幸の坊主姿を想像して笑っている風だから、そこまで俺は悪くない。空想を現実のものにしようと、成宮が御幸の頭を剃ったとしても、それは俺のせいじゃない。
 ひとしきり笑った成宮は、うっすら涙を浮かべながら息を吐いた。
「はぁあ、そーなんだ、そんなんで立ち直っちゃったんだ」
「そういうオメーはどうなんだ。あんま見かけねーんだけど」
「気になる?」
「帰るわ」
「ヤーダー! 聞いてよ! やっと調子出てきたとこなの!」
 社交辞令で聞いてやったらこれかよ。やっぱり、こいつを調子に乗せるのはムカつく以外の何物でもない。ドヤ顔を浮かべた直後に真顔で返事をすれば、再びがくがくと肩を揺さぶられた。揺れる揺れる、脳みそ揺れる、酔いそうだからやめろっての。ぐるぐるとした揺れが不快感に変わる前に、こいつの手を止めなくては。
「そうかよ、せいぜい頑張りやがれ」
「うん、もうお前らの後輩には負けない!」
「……降谷か」
「そう、フルヤ」
 すげえな、一言応援しただけで止まった。褒められるの好きなんだな。負けるたびに強くなってるのを思うと、叱咤激励の方が効果あるんだろうけど。
 そもそも褒められるのが嫌いな奴なんてそういないか。恥ずかしがったり、謙遜したりはしても、心のどこかでは喜んでいるもんだ。
 あいつだって、褒めればそれなりに嬉しがっていたし、な。
「そーだ、来シーズンはさ、俺も一也も一軍復帰するから」
「ソレお前が決めることか」
「決めるって言うか、決まりきってる?」
「むっかつくな」
「いひひ、良いじゃん。あとそしたら見に来てよ」
「気が向いたらな」
 すっかり上機嫌になった成宮はにししっと人懐っこい笑みを浮かべた。一軍に入って試合に出るなんて、結構難易度高いことだよな。それなのに平然と言ってのけるだなんて。大したやつだよ。自意識過剰なくらいに自信がなければ、プロではやってけないんだろう。なるべくしてなったというか、成宮といい、御幸といい、住む世界が違うかに思えてくる。
 そうだよ、別世界だ。別次元だ。もう同じ世界を共にはできないところに、こいつらは立っているんだ。漠然と、しかし確かに距離を感じ、ざわりと心臓が冷えた。

――一也もテンション上がるし。絶対来いよな!」

 冷えた、はずだった。
 耳に飛び込んできた成宮の声に、胸がふわりと温かくなる。
「……ばかじゃねーの」
「まじまじ、あいつ倉持のこと、相当頼りにしてるって」
「どーだか……」
「まあ~、俺には及ばないけどぉ~」
 相変わらず上機嫌を携えたそいつの額にデコピンを一発。つられて上昇するテンションに、自分も存外簡単だなとため息が出そうになる。
 後悔した電話は、一応あいつの背中を押せた。今の自分でも、少しはあいつを支えられている。いつか成宮の方が、あいつにとって頼もしい相手になるだろう、野球以外のあいつを支えてくれる女性も現れるだろう。将来は、それでいい。 ただ、今だけは、俺もあいつの糧になれている。それがどれだけ、俺の心を救うことか。
「じゃあね、絶対見には来いよ!」
「へーへー」
「絶対だからなあああ」
「わぁーったよ!」
 スーツがまばらになった頃、成宮は大きく手を振って去って行った。小学生かと言いたくなるほどに何度もこちらを振り向いて、その都度釘を刺して。そのうちな、そのうち。気が向いたら行ってやるよ。
 来るときは言えよと連絡先まで交換させられたが、それを使う日はきっとこないだろう。お前らの試合を見に行く頃には、俺はあいつの背中を押すこともできなくなってそうだし。ぎりぎり背中を掠められるうちは、行かない。
 ――そうだろう? 届くのなら、手に入れたくなってしまうのだから。
 行くとしたら、遠く、手を伸ばしたって、背中を押そうとしたって、届かない距離になってから。そうじゃないと、要らない感情をよみがえらせて、未練がましくなってしまう。

 欲張りな自分を笑い飛ばして、静かに帰路についた。