告白されてから早数日、泊まるのだからと気負ってみた。
 杞憂で終わったのが、癪でしかない。

 社畜と自称してはいるものの、土日祝日がだいたい休日になるということは、言うほど社畜でもないらしい。
 いつだか純さんに休み過ぎだと殴られた。でも俺別に悪くないよな、労働基準法の範囲内できっちり休ませてもらって、それなりの成績を収めて、余裕ある暮らしができるだけの給料をもらっているだけ。
 勝ち組と言い切れはしないが、超優良企業に就職できた自分を褒め称えたい。
 そんなわけで、俺は年末年始、無事に休みをとることができた。大晦日から正月三日まで、計四日間の冬休み。
 それこそ、純さんに知られてはいけない。あの人大晦日は休めるらしいけど、元日二日と出社するらしいから。えぐい会社っすねー。前に会ったとき笑いながらそう言ったら、躊躇いなく、全力の拳骨をいただいた。ちょっと、瘤になった。
 さて、じゃあこの連休を有意義に使うにはどうしたらいいか。親には仕事ばかりしていないで帰って来いと言われた。普通なら、それに従って帰省して、ぐだぐだと過ごすものなのだろう。なにより、去年は、何も考えずにそうした。
 けれど、今年は。
「二日、三日なあ……」
 ――御幸に、泊まりに来ないかと、誘われたのだ。
 付き合うと決まって一週間、早急すぎる気もするが、一月には自主トレ、二月にはキャンプ、そして三月にはシーズン開幕となるあいつには、一分一秒すら惜しいのだろう。
 断わっても、構わないとは思う。
 けれど、あいつの要望には応えようと決めた手前、俺の選択肢には「行く」しかない。
 しかも大晦日と元旦ではなく、あいつが指定してきたのは二日三日。実家で年越しをして、それから会おうという心づもりらしい。
 御幸にしては、こちらの都合をよく考えている。ならば、余計に行くしかない。
 そう、思うのだけれど。

 泊まり、である。そう、泊まり。

 恋人となって一週間かそこらだが、泊まりということは、つまり、そういうことである。誤魔化すまでもないな。たぶん、寝るだろう。そのままの意味ではなく、要するに、セックスするという意味での、寝る。
 今年の内に返事をくれれば、準備はしておくとあいつは言った。今回ばかりは、それに甘えさせてもらっている。
 今日の日付は、十二月三十日。ちなみに、ほんの数分前、会社から帰ってきたところ。あと十数分で日付が変わるのだから、実質三十一日だな。
 ということは、あと二十四時間以内に結論を出さなくてはならない。無情にも時間は過ぎ去り、刻一刻とタイムリミットは迫り来る。
 この期に及んで、実家に帰る余裕など、ない。
「どーしろってんだ」
 ローテーブルの前に胡坐を掻いて、頭を抱えた。
 セックスをしないのならば迷うことは無いのだが、絶対にしないとも限らない。
 名案は、さっぱり浮かばない。
 惰性で、つい、持ち歩いているタブレットを取り出した。ぺたぺたと指を滑らせて、検索画面を開く。
 少し迷ってから、一語、スペースを挟んで、次の一語、さらにスペースを経て、一語。検索履歴見られたら、人生終わりそうだな。いや、終わりはしなくとも、しばらく羞恥で穴に入りたくなるだろう。
 ごくりと唾を飲み込んで、ぺちりと検索ボタンをタップした。
「うっわ!?」
 一秒に満たない時間で現われ出た約四十万件。
 さらには、一番上に出てきた一行に、真顔は避けられなかった。
「しゃわー、浣腸、アナル洗浄……?」
 ああ、もうだめだ、リンクを開く勇気も湧いてこない。なにそれ。ナニソレ。想像しただけで心が折れる。むしろ想像しちゃいけない。
 予想はしていた。だって、下半身にある穴で使えそうなのって、ケツしかないだろう。
 けど、まさかそこを使うためにすることの最初が洗浄って。そりゃあ排泄物を出すとこだ、洗うくらいしないと衛生面上よろしくない。
 頭を抱えて、仕方なしに一番上の行をタップ。ぐるぐるとアイコンが回って、間もなく画面が表示された。項目立てて書かれている文章は、非常に分かりやすい。切ないほど、初心者に優しく書かれてある。
 それでもって、図解されていなくて、ある意味良かった。写真なんか出てきたもんなら、タブレットを窓の外に投げ飛ばしてたわ。
 げんなりとした顔を浮かべたまま、一番上から順に目を通した。
 やるべき理由、うん、それはよくわかる。
 やり方その一。その一ってことは複数あんのかよ。
 やり方その二。うわ、ほんとに複数書いてきやがった。ユニットバスじゃねえから読まなくてよし。
 やり方その三。あまりおススメしないのにわざわざ書いたのかよ。とりあえず、ウォッシュレットあるからやり方一で良いんだな?
 よし、心折っていいか。
「まぁあじかよ……」
 冒頭だけでこれだ。好き好んでやるようになる日はくるのか、むしろこの導入で無理だと悟るやつも多いんじゃねえの。
 それでも、読み進めるのは止めない。濡れないから、ぐちょぐちょなるまでローション使えとか、そもそもセックスする前にある程度開発しておけとか、正直あいつと付き合うことにならなかったら一生知らずに済んだろう知識が次々とインプットされていく。
(これ、絶対しなきゃなんねえのかな)
 諸々の準備ではない。セックスそのものをしなくてはならないのか、ということだ。これほどの苦労をしてまでする意味とは。
 ――したいから、する、以外にセックスする意味なんざねえか。まして男同士だ。生産性もないのだし。
 そこに辿り着いたところで、他の情報を頭に入れる気にもなれず、ため息を吐いてブラウザを閉じた。直前に履歴を消すのを忘れない。誰かに見られる可能性が低いとしても、消しておくに越したことはないだろう。どのページだったかなんて、また同じ言葉で検索すれば出てくるのだし。
 ぎゅうっと目を固く瞑って、ローテーブルに突っ伏した。
 そういえば、俺が突っ込まれる体で考えていたが、どちらも男だ、片一方に偏るとは限らない。
 すっと体を起こして、もう一度検索をかけた。見たくもないページ。だが、この際だ、腹を括って覚えてしまおう。
 どちらが、どっちをやるにせよ、知っていて損はない。と、思いたい。
 うんざりしそうなのを押し込んで、先ほど開いたサイトの続きに目を通した。

 で、結論。

 もういいわ、俺が下やるって。
 上をやろうと下をやろうと、どちらにせよリスクはある。
 だが、本来の用途ではない器官を使うだけあって、後者の方が細々とした準備が必要だし、負担も大きい。
 ここで問題となるのは、あいつの職業だ。今でこそオフシーズンであるが、プロ野球選手。体が資本。そんな奴の体を暴いていいものか、その上でプレーに支障を来たしたら選手生命も左右してしまう。あいつから、野球を奪いたくない。
 随分と献身的だが、あいつが求めてくるのに応じて体を預けるのだと思えば、まあ道理に適っている。
 とりあえず、あれこれ考えるのは明日にしよう。今日はもう風呂に入って寝る。そうしよう。深夜に悪いと思いつつ、二日三日泊まりに行く旨のメールを飛ばした。

 スマホを投げ飛ばす代わりに寝間着を引っ掴んで、風呂場に向かう。
 そういや、水場なら腸内洗浄できんのかな。得たばかりの知識がいきなり飛び出して、自分のことながら呆れそうになった。
 だるい体に叱咤を打つか、大人しく寝るか。一瞬考えて、迷うことなく風呂場の方に曲がった。
(そういや飯も食ってねえな)
 じわじわと迫ってくる眠気のせいで忘れていたが、なんとなくの空腹感もある。年末最後の大仕事だとか言って、休む間もなく働かされたからだ。水分だけで一日過ごしてんじゃん。まあ、食うのはあとだ。今は、風呂。
 ネクタイにワイシャツ、スラックス、下着を脱ぎ捨て、浴室に入った。風呂を沸かしてゆっくり浸かりたいところだが、待っている間に寝てしまいそう。烏の行水の如く、シャワーで済ませてしまえ。
 頭からお湯を被れば、体が緩んでいく感触がした。思っていたよりも、ずっと冷えていたらしい。
 湯を被りながら、がしがしと顔を洗えば、幾何か眠気が飛んだ気になる。まあ、部屋に戻ったなら、髪を拭かずに寝ちまうんだろうけど。
 続けて、脚やら胴やらを洗えば、大して泡立ててもいない石鹸水が体を這って滑り落ちた。指先には、まだ滑るそれ。上半身は流れ落ちたが、まだ下肢には白がついている。
 精液にしては清すぎるけど、膣液にしては濁りすぎている。あと、どちらにせよ粘性が足りない。でも、それらっぽい。
 ふうん。おもむろに、ソコに、指を当てた。
「ぅあ、」
 にゅるりと滑りながらも、指が窪みに吸い付いた。
 そろそろと皺をなぞれば、快とも不快ともつかない不思議な感触。だが、輪を描くように閉じたソコをなぞり続ければ、妙な熱と、気恥ずかしさが込み上げてきた。
 いける、だろうか。柔軟をするときのように、呼吸を止めないよう意識して、くんっ、指をねじ込んだ。
「っ!?」
 ほんの爪先、一センチと入っていない。
 だが、強烈な違和感。痛みがないだけマシだろうか。息が止まりそうなのを堪えて、その状態のまま深呼吸。
 いけるか、いけないか。
 ――答えは「いけなくもない」で曖昧極まりない。
 抜いてしまいたいのを我慢して、大きく息を吸いこんだ。中指一本でこの違和感、もっと太いナニをぶち込まれたら裂けるんじゃねえの。
 腹の底にいれた空気を吐き出しながら、さらに指を押し込んだ。
「ンっ」
 まだ痛くない。けれど、これ以上は、まずい。何がまずいと聞かれたら、具体的にこれと言えはしないが、ともかくまずいと思うのだ。
 第一関節までを取り込んだナカは、生々しく温かかった。
 しかし、感触のすべてがその熱というわけではない。推しだそうとする蠢きと、その一方でぎゅっと指を締め付けてくるもの。異物を押し出そうにも、締め付けたら意味ないだろ。自ら未知の感覚を与えたというのに、くだらないことを考えてしまう。
 ごくり、唾を飲み込んだ。この後、どうしよう。耳かきをしているときに近い感覚で、これ以上入れたら痛いと全身が語っている。汗が噴出しているんだ、それは確か。
 ただ、この程度なら、若干の気持ち悪さはあるものの耐えられる。
 腹を、括るか。
 壁に手をついて、けれど、それ以上突き立てることなく、指を動かした。挿入出はしない。入れたまま、ぐるぐると小さな円を描く。最初はゆっくり、様子を見て、ペースを上げていく。
「ぅ、……ひっ」
 限りなく気持ち悪いに近い。しかしどういうことだろう、止める気にもなれない。
 わざとらしく呼吸だけは繰り返して、指の腹で腸壁を押した。前立腺には程遠い。でも、何も感じないわけじゃない。引きつった声が浴室に浮かんでは、わんわんと響くに至らず消えていった。
「ぐぅ、っあ、……んぅ」
 指の動きを大きくして、ぐっと穴を広げる。何度か繰り返しているうちに柔らかくなって、ああ、もう一本くらいなら飲み込めるかな、広げたまま、人差し指も差し込んだ。
 二本の指で数ミリの隙間を作ったり、より強く腸壁を押してみたり。気持ち悪いのに、ぐにぐに弄る手が止まらない。
 抵抗を感じつつも、一際大きくアナルを広げると、ナカに外気が入り込んだ。ひやりとしたそれに、えも言われぬ違和感。
 いや、「気持ち悪い」とか「違和感がある」とか、そんな表現に頼っていたが、これは、もしかして。
「っは、あ……、ァっ……?」
 いつの間にか瞼を閉じて、弄られる感触に浸っていた。なんで耽ってんだよ、咄嗟に見開き、下肢に目を向けた。
 そこには、――ああなんてことだろう。
「んで、勃ってん、だよ」
 緩く勃起した、自身がいた。
 かっと頭に血がのぼる。即座に指を抜けば、ゆっくりと後ろが閉じていった。けれど、撫でていた感触も薄く残っている。
「~~ああクッソ!」
 舌打ちをして、お湯から水に温度を下げたシャワーを頭から被った。真冬ではあるが、火照った体には丁度いい。
 それでも、風邪は引きたくない。体が冷え切る前にゆっくりとぬるま湯まで温度を上げていく。体の熱が落ち着き、再び生暖かさが戻ってきたところで、ごつり、額を壁にぶつけた。
 ――気持ちいい、だなんて。
 認めてなるものかと思いながら、別のところでは「抱かれてもなんとかなるな」と希望を見出しているときた。くだらねえ、アホだろ俺。普通にオナるならまだしも、後ろだぞ。
 しかも今日が初めてだってのに。
 未だじんじんと痺れるソコを無視して、キュッとシャワーを止めた。
 上がろう。そんでさっさと寝よう。もし、泊まりに行って求められたら、まだ無理だと断ろう。「まだ」を強調すれば、乗り切れる。いつかできると期待も持たせたうえで、修羅場を越えられるさ。
 再び込み上げてきた熱に気付かないふりをして、勢いよく脱衣所への扉を開けた。

***

 真っ赤だった。
 そっと唇を内側に巻き込んで、カウンターキッチンをもう一度見やる。そこにあるのは、間違いなく、真っ赤な色の鍋。鍋の外側が、という意味じゃない。鍋の中身が、だ。
 かといって、香辛料のピリッとした香りはしない。どちらかといえば、爽やかとか、酸味とか、あと甘みのある香り。キッと、調理を続ける御幸を睨んだ。
「んだよ、ソレ」
「トマト鍋だって。なーんか見っけてさあ、気になったから試そうと思って」
「ふつーの鍋で良いだろ、そこは!?」
 なぜ、よりによって、トマト鍋。
 無難に寄せ鍋とか水炊きで良いだろ。女子会でもあるまいし、どうしてそんな洒落たものを選んだんだ。
 作ってもらったからには食べるし、こいつが嬉々として作っているからには不味いわけがない。だがどうにも腑に落ちない。
 単に、一度も食べたことのないものに対面しているからだろうか。トマト鍋なんて、少なくとも一人暮らししているうちは食おうと思わないだろうしな。
「ちなみにな」
「あ?」
「シメはふわとろオムライス」
「おーし、食おうぜ」
「はっはっは、お前が簡単な奴で良かったよ」
 たったワンフレーズで不満はきれいに飛び去った。
 結局洒落ていることに代わりはないが、オムライスに罪はない。別にふわとろしてなくていいし、むしろ薄焼き卵で覆われているくらいでいいけどな。
 いそいそと鍋やら何やらをダイニングテーブルに運び、さっそく器に取り分けた。
 最終的にオムライスになるというのを踏まえてか、鍋と言われてイメージする具はあまりない。せいぜい花形に切ったにんじんと、しめじくらい。他はキャベツとウィンナーと玉ねぎと。こんな料理あったよな、ポトフだっけ、ミネストローネだっけ。
 湯気を立てるウィンナーを箸にとって、ふうっと息を吹きかける。熱そうだな、湯気が揺らいだところで、一口目だけ、いつもよりそっと、唇で挟んだ。
 パリッ、歯を立てると、まずウィンナーの肉汁が広がる。そのうちに、トマトの酸味と混ざって、……へえ、意外と、美味いな。
「どう?」
「んまい」
「よかった」
「……見てねーでお前も食えよ」
「いや~頬張るお前可愛いからさあ」
「眼鏡作り直した方良いんじゃねえの」
「ひっでえ、少しは照れろよ!」
「でなきゃ眼科……、じゃねえな、脳神経科」
 淡々と突き返してキャベツを頬張る。芯は砕くか潰すかしたのだろう、噛んでいて葉と変わらない柔らかさだ。ロールキャベツのキャベツ部分食ってるみたい。
 そんなことを考えていると、ロールキャベツが食べたくなってくる。今度冷凍のでも買っておくか。作ってもらうという選択肢はとりあえずなし。せびりたくない。
 二本目のウィンナーを口に入れると、まだ何も食べていない御幸の口がもごりと動いた。ぱきゅっと音を立てながら口内で割ると、たっぷりの肉汁とあらびき肉の心地いい食感。
 訝しげに睨めば、ようやく御幸は、自分の器によそい始める。
「はあ」
「ため息吐いてんじゃねえ、まずくなるだろ」
「誰のせい……、や、いーわ。うん、俺が作ったからには、美味いままだから大丈夫」
「ムッカつくなあああその自信」
「事実だろ?」
 苦笑いから一転、にやりと笑ったその顔に、ぐうの音も出ない。
 まったくもってその通りで、口に放り込んだ鶏肉もしめじもトマトスープも美味いまま。鍋で不味くなる方がよほどのセンスを要すると思うのだが、今回ばかりは、それは置いておこう。
 それでも抵抗はしたいと唇を尖らせると、どろりと顔を蕩けさせて笑った。この数秒で笑顔使い分けてんじゃねえ。特に最後のやつ。いきなりそういう顔、浮かべるな。心臓に悪いだろ。
 熱くなってきたのを、鍋を食べているせいだということにして、黙々と具をかきこんだ。テーブルの下で、長く伸ばした脚を蹴るのも忘れない。
 弁慶の泣き所に当たっただと、わざとに決まってんだろ、ばか。
「オムライス作ってやんねえぞ!?」
「ハ、作れよ!」
「横暴……ッ」
「作るっつったの御幸だろ」
「作るけど、作りますけど、作らせていただきますけど!」
「うめえよ、クソがっ!」
「理不尽!?」
 褒めているのか、貶しているのか、分からなくなってきた。
 こういう軽快なやりとりが始まってしまうと、なかなか素直になれないもので、言葉のあちこちに刺を散りばめてしまう。どう、と聞かれた第一声に「うまい」と返せていたのが唯一の救いだ。
 悪態交じりの軽口を交わしつつ、着々と鍋の中身は減っていく。
 食べながら喋るなと注意するヤツはいない。
 奥歯で頬張りつつ一言、次の一口を噛み締めながら苦言を受け止め、次の憎まれ口。容赦なく言い合っても崩れない関係。恋人同士でそれを貫いていいのかは疑問だが、気楽でいられる時間だ、このまま維持したい。下手に気遣いだしたら、それこそダチなんかじゃねえだろ。
 こいつは、恋人だけど。
「あ、おい倉持、それ以上とるとオムライスの具なくなる」
「よしきた」
「……ほんとオムライス好きな」
「うめえじゃん」
「まあ、そうだけど」
「卵、無理して半熟にしなくていーぞ。薄焼き乗ってるだけのも好きだから」
「りょーかい、ちょっと待ってろ」
 そして言葉の応酬が終わるのも突然。それについて愚痴ることもなくすっぱり切り替わる。
 鍋を持って台所へ向かった御幸は、流れるような動きで冷蔵庫から卵を取り出した。既に取り分けておいた白飯を鍋にぶち込み、鍋を火にかける。なんと豪快、しゃもじも箸も使わずダイレクトに突っ込んだぞ。さすがに均すのには菜箸を使っていたが、諸々の動作はとても雑だ。そういえば母親が料理するときも大雑把だった気がする。
 料理が得意なやつは皆そうなのか。
 それとも、俺の好きな飯を作るやつが、そうなのか。
 卵を溶くカコカコした音を聞きながら、沈んだ小さな具と共に器のスープを飲み込んだ。

 希望通りの薄焼き卵で包まれた、なんちゃってオムライスを完食して数十分。
 流しに並んで二人で片付けをし、食休みをとったところで、ゲーム機を持ち込み忘れたと気が付いた。
 こいつの家には何で買ったんだと突っ込みたくなるサイズの大画面テレビがある。話に聞く限り、こいつにテレビを見る習慣はほとんどない。それじゃあ宝の持ち腐れだ。
 だからこそ、持ち込もうかと思ったのだが、別のことに気を取られて忘れていた。
 そう、別のことに、だ。
 夜は刻一刻と更けていく。まだ布団に入るには早い時間だが、いずれその時はくるのだ。意識しないでいたいのに、たまに黙るタイミングで時計に目が行ってしまう。気付かれていないといいな。ふわふわと上機嫌を振り撒いている、今日の御幸なら心配はないか。
 そっと息を吐くと、唐突に軽快な電子音が鳴り響いた。
「お、風呂沸いたみたいだし入って来いよ」
「へ、」
「ふ・ろ。先入れって」
「あ、おう……」
「なになに、なんなら久々に一緒に入っちゃう? 俺ん家の風呂、結構広いんだぜ~」
「はっ、いんねーよ!」
「そう言われるとしたくなるのが人の性だろ」
 人の悪い笑みを浮かべて、じわりと近寄ってくる。こつりと肩が触れ、顔を背けようとすれば、先に後頭部を掴まれた。その体勢のまま、イヤな笑みで覗き込む。近い、っての。
 暴れ出す心臓を抑え込み、せめて表情だけでも取り繕う。ぐいぐいと押されて、はいはいと流されるほど軟弱でもねえんだよ。
「……なら、一緒入るか?」
「えっ」
「言うからには、男二人イけるくらいに余裕なんだろ」
 ちなみに俺に余裕はない。
 あたかも涼しげに返しているし、御幸にとって予想外の言葉であったらしいが、内心じゃ「なに口走ってんだ死ね俺!?」と頭を抱えている。
 これでまたこいつがあの笑顔を浮かべたら。肌を触れ合わせるに至り、そのままスるところにまで突っ走られたら。今度こそ動揺と羞恥で爆発する。
 アホな姿晒したくない。いつか行為に及ぶのは良しとしても、今日じゃない後日であってほしい。でなきゃペッティング止まりでなんとか済ませたいところ。頼む頼むと声に出さずに連呼した。
「まじ、で」
「嘘言ってどーすんだ」
「えっ、そりゃ入りた、えっ、エッ」
「てめーから言い出しといて照れんな」
「あのさ、お前、今、どんな顔してるか分かってんの」
「鏡がねえから分かんねえわ」
「~~ああもう、先に入れ!」
「おう」
 危機回避完了、か?
 替えの下着だけ鞄から取り出し立ち上がると、対照的に御幸は蹲った。
 どんな顔をしていたかだなんて、分からないのは元より、知りたくもない。自分の顔、下半分を揉み解しつつ、おそらく悶絶して震える背中に足をかけた。
「そーだ、なんか服貸せ」
「なんで!?」
「荷物になっから持ってきてねーんだよ、テキトーなスウェットとかジャージとかあんだろ」
「うぇあっはい……、出し、とく」
 足で揺すりながら声をかけるも、その顔は一向にこちらを見ない。
 それほどに妙な顔をしていたというのか。自分の妙に強張った頬からすると、引きつった顔とも考えられるが。
 ……この反応だろ、それはない。強請るような顔してねえといいなあ。
 ひとまず入っている間に持ってくるよう取り付けて、家主曰く広いという風呂場に足を向けた。便所は何度か使っているが、風呂場の方には入ったことがないんだよな。今日初めて泊まったのだから、当然と言えば当然なんだけど。
 レール付の引き戸を開ければ洗面所。それから洗濯機。ステンレス製の棚の二段目に空の籠があるから、これに服を突っ込めばいい。
 御幸の家だからと、脱衣を躊躇う必要はない。というか、さっさと風呂場に逃げ込まないと、中途半端に脱いだところで、着替えを持ってきたあいつと鉢合わせる。あの会話の直後だ、気まずいに決まっている。
 一思いに服を脱ぎ捨て、ついでに畳まれてあるタオルを一枚拝借した。
 曇りガラスを引き開ける。
 視界に入った広さに、悶々と考えていたことが全て吹き飛んだ。そのまま表情すらどこかへ行って、真顔のまま固まってしまう。
「うわ、まじででけえ」
 野郎二人で入るのに十分な大きさ、とは言いがたいが、浴槽は足を伸ばして入れるほどに広い。密着してあれこれするには、丁度いいかもな、なんて。いや、しないけど。今後も風呂場で何てするつもりないけど。
 高給取りめ、初めてこの家に訪れたとき発した言葉が、再び過った。
 掃除の行き届いた浴室はカビ一つ生えておらず、逆に落ち着かない。あいつ、そんなきれい好きだったか。漂白剤の臭いもしないし、本当に、常日頃からこの清潔具合を保っているのだろう。
 変なところで几帳面。あれこれ思い悩んでいた不安は吹き飛んで、もはや関心しかでてこない。
 感嘆しつつ、シャワーコックを捻った。頭上から落ちる水の温度を確認し、豪快に頭から浴びる。ガシガシと頭を掻いて整髪料を流すと、むっと慣れた匂いが広がった。
 頭からお湯を被って、全身にその湯が伝い落ちて、冷えていた足先がぴりっとする。心地の良い温度を感じながら、ぼんやりと髪から滴り落ちる水流を見つめた。
「……すんのかな」
 小さくつぶやいたそれは、シャワーの音に掻き消され、排水溝に呑まれていく。
 ついさっき慌てふためいたのが嘘みたいだ。温もりと共に、落ち着きが帰ってくる。
 ざんざんとシャワーを浴びながら、息を吸って、吐いて。それから瞼を閉じて。
 しないつもりではあったけど、するとなったら断れないんだろうな。今日はしない。必死にたどり着いた結論を無下にしている。しかし、浮かんだ考えを消し去ることもできない。
 ――そっと右手を、後ろに伸ばした。
 くにゅり。触れたクチはなかなかに柔らかい。そりゃそうだ、この家に来る前に、洗浄だけは済ませておいたのだから。 とはいえ、あれだけ飯食っちまったら、ほとんど無意味かな。まだ消化されてこねえといいけど。
 深爪気味の指を押し当てたところで、痛みはやってこない。それどころか、皺を伸ばすように指を這わせるだけで、ムズ痒さに体が震える。
 たった数日弄っただけでこれだ。俺もしかしてネコの素質あったりして。つっても、あいつ以外にどうこうされる気ねえんだけど。
 呼吸は止めず、つぷんと指先を埋めた。奥に指を入れるのはまだ怖いが、入り口だけならいける気がする。どこかのエロゲ風に言えば、先っぽだけなら。フラグだな、そのままねじ込まれて「らめえ」って叫べってか。
 いきなり奥は、いくらなんでも痛いに決まっている。なら、その前にどこまでいけるか試しておくか?
 シャワーで火照り始めた肌をそのままに、指を奥へと押し進めた。
 初日に突っ込んだのは第一関節まで。
 年が明けるか開けないかというときは、二本分の余裕を作っただけで、奥は目指さなかった。
 昨晩、中指一本の第二関節まで入れてみたものの、気持ち悪さに即撤退。
 それじゃ駄目だろと、今日の昼過ぎ、洗浄を終えてからもう一度第二関節まで入れ込んだ。
 以上を経て、今。
 くぷくぷと、押し出そうとうねるナカを無視して突き刺していく。限界と思った第二関節まで入れたら、もう一息。ゆっくり、ゆっくりと指をはめていく。
「んっ、……は、ぁ?」
 そのうちに、くんと指が突っ張った。根本まで、入った?
 すげえ、入りやがったよ。謎の感動が込み上げてくる。
 だが動かす気力は沸いてこない。どうしよう。指にまとわりつく生暖かさと、腸壁で感じる異物感に気が取られる。
 そうだ、前立腺。しこりがあるとかないとかいう、それを探せばいいのか。
 恐る恐る指を抜き出しながら、ナカの腹側を爪で擦った。

――倉持、着替え置いとくぞー』

「ぅアッ……!?」
 突如耳に飛び込んできた声に、ぎゅっと後ろが締まる。
 その瞬間、指を締め付けると共にナニかが押された。びりりと走る痺れに、脚が震える。声が漏れる。
 はくりと、口を開閉すると、曇りガラスの向こうから続けて声をかけられた。 
『くーらもちー、きーがーえー』
「おっ、おう、さんきゅ!」
 どうにか返事をして、御幸の気配が遠ざかるのを待つ。後ろで指を締め付けたままで。きゅんきゅん入口が疼いているのまでリアルに感じる。まさに息も絶え絶え。
 あいつが廊下に出たのを扉が閉まる音で確認して、そっと、指の動きを再開した。このあたり、妙な感触がしたのは、確か。
 上手く見つからないが、腸壁を押し広げる度に内腿が痙攣する。ここじゃない、もう少し右、いや左だろうか。くにゅり、ぐにゅり、中指の腹の神経をこれでもかと尖らせ、痺れをくれた部分を探す。
「っは、ぁう、……んっ」
 似た感触に喉が詰まった。緩めることなく押し続けしまい、腹から熱が込み上げてくる。
 ようやく、見つけた。たぶん、あった。きっと、これだ。
 ぐっぐっと緩急つけて刺激すれば、下腹部に熱が溜まっていく感触。容器に水を満たしていくような、でもまだ溢れるには遠いような、そんなイメージ。
 痛い気もするし、気持ち悪い気もする。けれど完全に嫌いになれない痺れ。気持ちよくなるとしたら、間違いなく、ここなんだ。
 口を半開きにしたまま何度も前立腺を刺激すれば、緩く陰茎が勃起し始めた。気持ちいいか分からないのに、勃つもんなんだな。熱で浮かされながらも、頭の冷静な部分で現状を把握する。
 暇を持て余した左手が、ソコに辿り着くのは時間の問題であった。

 風呂をあがって、考えていた以上に大きなスエットを着たのは覚えている。冬の寒さゆえ、裾も袖も捲らずにいたものだから、御幸に「彼ジャー」だの「甘えんぼ袖」だの騒がれたのも、よく覚えている。
 問題は、後ろ込みの自慰に耽ったせいで、頭に気だるさが張り付いていたということ。
 脳裏に張り付いた熱と、達した直後ならではの眠気に襲われていたのだ。加えて、がしがしとタオルで頭を拭いていれば、御幸と同じシャンプーの匂いが漂ってくる始末。
 こんな匂いに絆されて堪るかと思う反面、安心感に意識は沈められていった。
 ふわふわと、頭が揺れる感覚だけ、宙を浮いている。学生の頃、教師の話は聞いているつもりなのに、みみずさながらの字を書いていたときのよう。
 波打つ意識に、ふと、背中のぬくもりを捉えた。
「っ!?」
「ん、起きた?」
「うえ、え……」
 びくりと体が大きく揺れ、その衝撃で目が覚める。
 至近距離から聞こえた声に振り向けば、まさに目鼻の先にいる御幸。背後から抱きしめるように座っている。そうか、それで温かかったのか。
 そろそろと首を前に戻して、背中を預ける。ぴたりと触れた胸板は、記憶以上にたくましい。服のサイズの違いにも、納得してしまいそうなほど。
「寝てた、のか」
「おう、でも十分そこらじゃねえかな。俺風呂行ったときはまだ起きてたし」
 柔らかい声で言った御幸は、タオルで優しく髪を拭いてくれる。わずかに髪の濡れた感じがするから、御幸の言う通り、意識がおぼろげになったのは十分程度なのだろう。
 いつもと違ってぺったりと平らになった髪。放っておいてももう乾くだろう。
 御幸に寄りかかったまま瞼を閉じれば、また眠気が襲ってきた。微睡み始めた体は、そばにいる御幸の匂いを敏感に感じ取る。
 緊張をもたらすことはなく、心が安らかさで包まれた。
「寝る前にドライヤーかけていい?」
「ん~……」
「まあ寝ててもいいけど。ガーってすんぞ」
「うん、」
「うるせーって癇癪起こすなよ」
「おこさねー、し」
 緩慢に相槌を打てば、耳元でため息。そこで息すんなよ、身を捩りながらも心地の良さに体を任せた。
 間もなくドライヤーのけたたましい音がするが、ほとんど気にならない。どれだけ眠いんだろう。それとも、今包まれている安心感には敵わないということなのか。
 わずかに温風が吹きかけられた後、しばらく音だけが流れていく。おそらく御幸が自分の髪を乾かしているのだろう。俺なんかを優先しやがって、まずは自分の身なり整えてからにしろって。風邪ひいて困るのは、お前だろ。
 悪態を零そうにも、舌は回らない。
「よ、しっと。もう寝る?」
「ん、」
 軽く頷くだけのつもりが、大きく首が傾いた。再び体が大きく揺れて意識が持ち上がるが、睡魔と隣り合っていることに代わりはない。
 普段のア段の声ではなく、限りなくウ段に近い音での笑い声がすると、するり、背中のぬくもりが遠ざかった。どこに行くんだよ。うっすら目を開いて口を歪めれば、肉刺だらけの手で腕を引かれた。くんっと引っ張られて、立ち上がって、御幸の手を頼りにふらふらと寝室に近づいて行く。
「ぁれ」
「どした?」
「ふとん、あんの」
「セミダブルだから。まあ狭いとは思うけど、なんとかなんだろ」
「ふうん」
 こちとら簡易ベッド並のシングルサイズだってのに。やっぱり金持っていやがる。
 でもプロ野球選手のガタイなんだし、それくらいの広さはないと落ち着いて眠れないのかもしれない。それなら、仕方ないということにしてやろう。
 素足がフローリングを擦るように歩いて、そのうちにもふりとカーペットにふれる。ベッドの近くまで来たのだろう。手を離されたタイミングで前に倒れれば、ベッドに全身が沈んでいった。
「みゆきのにおいだ……」
「そーだよー、俺のベッドだもん」
「んん、んぅー……」
「ほらもっとそっち詰めろ」
 ごろりと仰向きになると、そのままぐいぐいと奥に押された。広いんだから真ん中に寝かせろよ。
 ぼんやりと目を開いて、何の気なしに隣を見やった。そこには、丁度ベッドに入り込んだ御幸の姿。近い。さっきソファに座っていたとき並に近い。それどころか、ごろりと横向きになって、腕を伸ばしてくるときた。
 どんだけ近づくんだコレ。
 ふわり、体が布団に包まれ、ついでに御幸にも抱きしめられた。
 ん?
「ハァ!?」
「あれ、眠いんじゃねえの」
「そりゃあ、眠いけどッ……、んで同じベッドなんだよ」
「恋人なんだし良いだろ」
「そういう問題じゃ、」
「そういう問題だって」
 ぎゅっと腕に力がこもる。そのせいで襟ぐりから見える御幸の鎖骨とコンバンハ。
 じゃねえよ、なんで人の頭に顔埋めてんだよ、がっしり抱きしめるだけでなく足まで絡めてんだよ、どうして野郎二人が一つのベッドに入ってるんだよ。
 猛スピードで突っ込みが駆け抜けるが、ほとんど微睡んだ御幸の顔を見ると壁にぶち当たってめげてしまう。
「良いのかよ、」
「いーいの」
「せっ、狭いだろ」
「でもあったかいじゃん。ほらお前も眠いんだろ、おやすみ」
「ぉ、やすみ」
 目を閉じて間もなく、規則正しい呼吸が聞こえてくる。無事に夢の世界に旅立ったらしい。
 どうせなら、俺も連れてけよ。ふつふつと熱が込み上げてきて、目が冴える一方だ。下唇を噛み締めたって、軽く胸を押したって、何の効果もない。
 舌打ちを抑えて、自暴自棄に目を瞑った。すると、呼吸同様に一定で、静かな鼓動が聞こえてくる。こちとら、だかだかとネズミみたいに脈打っているって言うのに。能天気に寝やがって。
 つーか、普通に寝るんなら、俺の努力はなんだったんだ。こうなると分かっていたら無理して解さなかったし。ついさっきも弄ってたしよお。
 報われても報われなくても、結局不満たらたらじゃねえか。
 一層強く唇を噛み締めた。一体、いつになったら眠れるだろう。喧しい鼓動と、その三分の一程度で震える深い響きとに、子守唄代わりだと思い込ませて、耳を澄ました。

 翌朝、一番に目の前のそいつに驚いた。そうだった、一緒に寝たんだった。
 俺がびくりとした衝撃で御幸も目を覚ます。よしきた、朝一番に一発喰らわせよう。
 そう、思ったのだが。
「ぁと……十分……、」
 さらに抱きしめる力を強められて、抵抗の一切ができなくなる。何が十分だ、高校のときは三分だったろう、三倍以上の時間を突きつけて来るんじゃねえ。
 目一杯の力を込められるのは少々痛いが、目覚めて最初にもっさい面を拝めるのは悪くない。
 ちくちくする髭に噴き出して、起きがけから最高潮の心臓を自嘲して笑った。この野郎が。朝一で、こいつを見られる贅沢を、せいぜい堪能してやるよ。

 どこかの馬鹿じゃねえが、じーんと幸せを噛み締めた。